『薩摩焼伝統美展』in セーブル美術館を見て


 去る11月20日、フランス・パリ郊外、国立セーブル美術館にて、三百名の来賓の祝意の下『薩摩焼伝統美展』が三ヶ月間の会期の幕を明けた。私も工房の仲間、20名と展示会の会場に立った。薩摩焼の大先輩達の仕事がその晴れがましいライトの中で、互いの旧交を暖めるかの様に居並んでいた。
 正面の窓の外にはセーヌ川、お隣は広大なサン・クール公園、後ろの窓からは250年の歴史を誇る国立セーブル磁器製造場の工場群が甍を連ねている。
―『セーブル』―
  その名の起りは古い。ルイ十五世の肝煎りによって創設されたセーブル焼は当初、良質な原料に恵まれず比較的温度の低い軟質磁器を焼いていた。ところが1768年、フランス中部の町リモージュにて、一人の女性が偶然自宅庭に露出している白土を見つけ、それを洗濯の時に漂白剤として混ぜて使っていたのを知った陶工の夫が、地元の工場に持ち込んだ。これが、フランスに於ける最初のカオリン鉱脈(白色の粘土で焼物に不可欠な鉱物)の発見である。
 ドイツのマイセンに磁器生産で遅れをとっていたルイ王朝はこの際一挙に挽回を図るべく、このカオリンを王立セーブル焼工場へと運び、エリゼ宮を飾る王室御用達の磁器生産を開始する事になるのである。ルイ十五世の愛人として有名なポンパドール夫人の愛したセーブル・ブルーやポンパドールピンクの器達、ナポレオンの妻ジョセフィーヌのゴブレットを生み出し、職工としてオーギュスト・ロダンやアガトン・レオナールを抱えた。現在でも世界各国の王室で晩餐会用のテーブルウェアとして使用されている世界の名窯である。
 その地に十九世紀初頭、工場長アレクサンドロ・ブロンニャルによって美術館が創設された。世界のあらゆる時代と文化圏を越えて陶磁器を収集し、その技術を研究する為に。そして現在、収蔵品は五万点を越え、陶磁器専門の美術館としては世界で最も権威ある美術館と言われている。
 さてこの度、鹿児島県に対してセーブル美術館より『薩摩焼伝統美展』の開催要請があったのが二年半前の事であった。
 通常、日仏の文化交流に於いては、フランス側は専ら名義貸しを行い、経費は殆んど日本の負担が通例であった。しかし今回は、現地費用は全てフランス側の負担という極めて異例の申し入れであった。
 私は何故、『薩摩』が選ばれたのかを考えてみた。日本には、北から数えても久谷(石川)、益子(栃木)、笠間(茨城)、越前(福井)、美濃(岐阜)、瀬戸(愛知)、伊賀(三重)、信楽(滋賀)、京・清水(京都)、丹波(兵庫)、砥部(愛媛)、備前(岡山)、萩(山口)、有田(佐賀)等、薩摩を遥かに規模に於いても、技術の集約においても凌駕する陶産地はいくつも存在する。
 では一体、どの点が選抜のポイントになったのかである。
 やがて、セーブルによる作品選抜の過程を見て気付いた。大別して五つの柱で構成されている。第一、黒粘土を使用した庶民の生活雑器、第二、島津家に納められた白粘土の献上薩摩、第三、アート・グレイズと呼ばれた結晶釉や金襴手による茶陶、第四、天草から磁鉱を輸入しての薩摩染付磁器の生産、第五、幕末から明治期に掛けてヨーロッパで日本陶器の代名詞になった輸出陶『サツマ・ウェア』。そしてこの五つの用件を満たしている産地は日本の中で薩摩焼だけであったのだ。即ち薩摩はその歴史の優位性故に他産地に先んじる幸運に預かったのである。
 今回、副題として付けられたタイトルは『エキゾチズムからジャポニズムへ』であった。その上で今回の展示品に改めて目を凝らして見ると、全ての十二代作品はヨーロッパ人の嗜好に沿った物ではなく、あくまでも薩摩人の美意識の中で磨かれた、『薩摩の仕事』であった。その仕事の完成度は勿論の事、当時の薩摩の勢いと相まって、その明確な定義と地域性がヨーロッパに於ける理解の促進と評価に繋がったと思われる。
 そして今、日本が世界に発信するコンテンツの多く(料理・漫画・映像・ファッション・車・ゲーム・オタク等々)も、すでに西洋的なものでなく日本人が日本人の為に作り磨かれた『日本の仕事』そのものなのである。
 人類の英知を結集し、文明の到達点を示す万博は1858年から開かれている。そして1867年の二回目のパリ万博には薩摩藩は徳川幕府とは別に薩摩琉球国として単独の参加を果たしている。我々の先人達は西洋を貪欲に吸収し、逆に西洋は日出ずる最果ての東の小国を驚きの目で迎えていた。
 しかし、その中でいつの間にか現代に至るまで私達は相手の土俵で、相手のルールで戦い続けて来た様に思える。そしてその戦いの連続から来る疲労感の様なものが逆に日本的なモノの回帰へと繋がり、その事が皮肉にも再び日本の魅力になっているのかも知れない。
 つまり現代と140年前の薩摩とはコンテンツの違いこそあれ、彼我の違いを明らかにする事で、ともに世界の言葉で語れる普遍性を持ちえたという点で重なって見える。それこそが未来への『鍵』かも知れない。我々は今回の展示会開催に対してその幸運に感謝しなければならない。
 世界最高の権威を持つ美術館の自主企画により世界に発信される情報は、瞬時に世界各地の国立博物館や著名な研究者の知るところとなり、投じられた一石はその水面に確実に波紋を広げ、大きく穏やかに薩摩焼業界と鹿児島を包み込んで行くのである。
 そして我々陶業者はこの穏やかな風の中で個々の仕事を俯瞰で見る機会を得る事が出来たのである。



十五代 沈壽官