「啐啄同機」(そったくどうき)
2020年12月22日以前、清風誌上で述べたカフェの建設計画はコロナの影響で一時頓挫していたが、やはり初志貫徹、改めて取り組む事とした。
物を作る事は未来を信じる事だと考えたからだ。
計画を立てると希望が湧くものだ。
手始めに建物の庭に繁るであろう木々の植栽に取り掛かった。
自然の山中に存在する木々のみで雑木林を作ろうと考えた。
面白いもので、そういった木々の栽培農家がちゃんと居て、市場もあるのだそうで、知らなかった。
その作業の中で「フジバカマ」という植物を植えることになった。庭師の鮫島君が「沈さんの好きなアサギマダラが来るかも知れませんよ」と言うからだ。子供の頃からの憧れの蝶でテレビでしか見た事が無かったので、是非植えてと頼んだ。
かくして、彼が愛用のオンボロトラックにフジバカマを積んで我が家に来たのだが、出迎えた私に彼が笑いながら空を指差した。
見上げると、なんと憧れのアサギマダラがトラックの上を既に舞っているではないか。やがて蝶は円を描きながら降りて来て、トラックの荷台のフジバカマの花に留まった。
昆虫少年だった僕が一度も見た事が無かった憧れのアサギマダラが、かくも簡単にやって来たのだ。
なんということだ。
近づいても逃げない。花に夢中の様だ。
花の香りを嗅いでみたが、何の香りもしない。まるで夢を見ているようだった。
そこで県立博物館に電話した。
博物館の女性の先生が仰るには、どうやらフジバカマからはアサギマダラの好む独特のフェロモンの様なものが出ていて、上空を南の島に南下する為に飛翔しているアサギマダラの触覚に反応するとの事だった。
何が何やらサッパリ分からない。
かなり高いところを飛び、遠くは台湾迄旅をする(らしい)アサギマダラが、そのフェロモンを感じて降りてくるというのだ。
人間には及びも付かない能力だ。
その後、植えたフジバカマには度々、アサギマダラやタテハチョウが来るようになったが、鮫島君がある日、僕にアサギマダラとタテハチョウの羽だけを見せた。
「沈さん、カマキリにやられてましたよ。カマキリは何度も失敗してましたが、フジバカマの花の真下に潜んで、、」と。
フジバカマを植え、憧れのアサギマダラが飛来し、カマキリが腹を満たした。カマキリも又、生きなければならないのだが、僕の心中は複雑だった。(ちなみに僕はスズメバチがカマキリを襲っているところを見たことがある)
それにしても、フジバカマとアサギマダラの出会いの興奮は冷めない。
禅の言葉に「啐啄同機」(そったくどうき)と言う言葉がある。
これは薩摩焼400年祭の時、開催された日韓閣僚懇談会に来日した金鐘泌国務総理が私の父に乞われて揮毫した言葉であった。
見事な書である。
意味は、卵の中のヒナがいよいよ殻を破って外に出ようとする時、ヒナの力では殻を破れない。すると、小さなヒナの鳴き声を聞き、親鳥が外側からその箇所を突き、小さなヒビを入れてあげると言う意味である。日韓の関係も互いの願いとするところを、即時に汲み取り助け合う。そうありたいものです、という金鐘泌国務総理の心情であった。
政争の激しい韓国政界にあり、30年にも渡り中枢で在り続けた大政治家の選ぶ言葉は、やはり重い。
アサギマダラが登場した時の事を思い出し、この言葉が浮かんで来た。
目に見えないが相通じる間柄、言葉にしない愛情、そんな忘れていた事に気付かされた驚きの景色だった。