直心直伝「見えない存在の力」

2018年4月6日

昨年末、12月7日、極寒のロシア旧都サンクト=ペテルブルクに向けて成田を飛び立った。世界最大の規模を誇るエルミタージュ美術館を訪ね、12代沈壽官作品と対面する島津忠裕氏に付き添った。
 
今から凡そ10年ほど前の事だが、倉庫で2つの古い大型のボストンバッグを見つけた。鍵は錆びついていたが何とかこじ開けた。
中にはビッシリと和綴じの資料が納められている。内容は粘土の組成、釉薬調合、仕入伝票から大福帳、出勤簿などなどである。試しに1部を取り出してみると、サラサラと粉が降り落ちてくる。紙同士はベッタリと貼り着いており、無理に剥がすと破れてしまうほどだ。
 
思わず身体に痒みが走りそうになり、とっさに焼却処分が脳裏を横切った。
しかし、祖先の供養になるかもとの思いも同時にあり、この和綴じの塊を表具屋で『洗い』と『裏打ち』をお願いすることにした。
ほんの気まぐれである。
費用もかかることなので、ひと月に無理のない範囲で遅々と始めることにした。
 
仕上がってきた文書を清風のエッセイを寄せてくれている深港 恭子専門学芸員に解読して頂く作業が始まった。
その文書の中に絵柄を記した葉書大の紙片が幾枚も入っていて、それを繋ぎ合わせたところ、大きな一枚の下絵図になった。真ん中に見たこともない王冠とアルファベットの紋章。
 
不思議な感じを持ちながら、過ごしていると数日後、ロシアからメールが入った。日露修好150年の記念番組制作のため、エルミタージュ美術館に入っていたテレビ東京のスタッフからである。
エルミタージュ美術館の収蔵庫で不思議な大花瓶を見つけたが、心当たりはないか?との問い合わせだった。
 
そのメールを見て我が目を疑った。
わたしが繋ぎ合わせた下絵図と酷似した紋章がそこにあったのだ。
 
やがて、明治24年にロシア皇太子ニコライが薩摩を訪れ、島津忠義公と深い友情で結ばれた事。その際、多くの薩摩焼を入手した事などを知ることになる。さらに問題の大花瓶はニコライがロシア皇帝になった戴冠式に島津忠義公から送られたものだと判明したのだ。作者は12代沈壽官。
 
エルミタージュ美術館の収蔵庫でひっそりと時を刻んでいた大花瓶はこうして日の目を見ることとなる。
今回の訪露はその花瓶と島津家32代当主の嫡男忠裕氏が出会う機会であった。
 
そして、その作品を今年のニコライ2世没後百年を記念して改めて制作を依頼されたのだ。
不思議な縁だと思う。古文書の発見、解読からいきなり大花瓶の登場だ。何かしら、閉ざされた堰を切るように先祖の思いが流れ込んで来る。こんな事もあるのだ。見えない力に突き動かされているようだった。
 
その作品は5月に島津家仙巌園の御殿で披露される予定だ。絵付け担当の趙さんの死闘が続いている。
 

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