直心直伝「南原春香祭」

2016年10月1日

去る五月、大韓民国全羅北道にある南原(ナムウォン)市を訪問した。皆様、御承知の事とは思うが、この地は四百十八年の昔、豊臣秀吉の朝鮮出兵(慶長の役)の際、我家の日本に於ける初代、沈当吉(沈讃)が島津軍に捕らえられた場所である。初代達が最後に見た光景は紅蓮の炎に包まれた南原城の姿であったろう。小西行長率いる五万八千の日本連合軍第三軍に包囲された南原城は、旧暦八月十五日、落城したと伝えられている。当時、南原城の守備についていた沈讃は奮戦叶わず島津軍の捕虜となった。使命を果たせなかった彼は、その後「讃」の名を捨て、幼名であった「当吉」を名乗る事となる。これが初代沈当吉である。

南原は北に山を背負い、南に開けた平地を持ち、その眼前に河がくねっている。風水の観点からも実に縁起の良い地相となっている。古くから交通の要衝として栄えてきた。

この南原は民族音楽のメッカとしても知られており、韓国の国立国楽団の国内四つの拠点の一つになっている。又、南原市立の国楽団も存在し、国と市の二つの音楽堂が存在し、二つのプロの国楽チームが常駐しているのだ。従って、市民への公開プログラムも多く、高い割合の市民達が韓国伝統の舞踏や歌、楽器の演奏を趣味としている文化都市だ。

その南原市を更に有名にしているのが「春香伝」の存在である。韓国最古のラブストーリーといわれる春香伝は、韓国伝統的歌謡パンソリでも歌われている。粗方のストーリーは以下である。

南原に赴任してきた長官には一人の息子がいた。青年は逞しく賢かった。ある日、青年が屋敷の外を見ていると、ブランコで遊ぶ美しい少女「春香」が居た。彼女は技芸を生業とする女の娘であった。青年は一目で彼女の美しさに魅了され、やがて二人は恋に落ちる。(この辺りが、身分制度の厳格な朝鮮では絶対にありえない事なのだが、これが物語のミソであるから御勘弁。)

しかし、運命はこの二人の愛を引き裂く。長官へ漢陽(現在のソウル)に帰還の命令が下ったのだ。愛し合う二人は涙ながらに別れるのだが、青年は必ず春香を迎えに来る事を約束する。その後、新しく南原に赴任した新長官は、春香の美しさを見るや、自分の妾になる様強要する。生涯の相手と決めた男性がいる春香は、その命令に従わない。業を煮やした新長官は彼女を捕らえ、鞭で打ち牢獄へと監禁する。

その時だ。群集に混じって機会を伺っていたあの青年とその部下たちが、一斉に暴君に襲い掛かり春香を救出し、二人は再会の喜びに打ち震えるというストーリーだ。めでたし、めでたし。(もう少し早く登場してくれたら鞭で打たれる事もなかったかもしれない。)このあり得ない話は、あり得ない故に朝鮮の庶民達に愛された。

その春香を讃えて「春香祭」という大イベントが毎年開催されている。今年で八十六回というから日本統治下で始められた祭りである事が分かる。当時の日本人たちが主導したのか、あるいは庶民達が人知れず始めたものなのかは分からないが、いずれにせよ伝統の祭りと言って良い。そして毎年「ミス春香」が選ばれる。一人ではない、六人である。

眞(じん)、善(そん)、美(み)、貞(じょん)、淑(すく)、賢(ひょん)の六文字を体現していると思われる小顔の韓国美人が選ばれるのだ。不肖小生も今年は、その「ミス春香」のナンバー1の美女との撮影に成功した。(美女と野獣とはこのこと事である。)

私の住む日置市と南原市は、歴史的つながりから現在有効都市の盟約を結び、二年に一回ずつ相互に交流をしている。

出来るだけ多くの価値観に身を寄せる事は大切だ。日本人だけの物差しで物事を見ていては、不充分であろう。私たちは強く日本人でありながら同時に他国の悲しみをわかる人間でなければならないからだ。

皆さんも、是非、南原を訪れて欲しい。智異山からの山菜料理、どじょう鍋、カルビは絶品である。人口十四万のフォークソングとラブストーリーの街「南原」素晴らしい所です。

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