直心直伝「猿教師」

2015年2月19日

横浜在住の後輩の山本君からメールが来た。「沈さん!!十二代沈壽官作の置物を手に入れました。画像送りますから見て下さい!!」彼は横浜で製菓会社を営みながらコーヒーショップのチェーン展開まで手掛ける青年実業家である。そして同時に宮川香山ミュージアムを主宰している日本でも著名なコレクターでもある。(宮川香山については以前も紹介したが…明治を代表する陶芸家であり日本で二人目の帝室技芸員である)山本君の収集の範囲は全世界に及んでいる。今回はオーストラリアのメルボルンのオークションサイトにアクセスしたらしい。山本君からのメールを見て驚いた。そこに写っていたのは沈家の古文書に出ている「猿教師」であった。これは、何という事かと、早速指宿白水館の深港恭子学芸員に一報を入れた。すると、間違いなく「猿教師」である事、更に明治二十六年のシカゴ万博に出品された作品である事が分かった。横浜の山本君に再度連絡を入れると「指先に小さなチップ(傷)があるものの状態は極めて良好」との事だった。

文献で簡単なラフのデザインしか描かれていない作品、ヨーロッパのどこの美術館にも勿論所蔵されていない。

「これがあの猿教師か…」私の目は釘付けになった。私はとうとう再度山本君へ電話をしてしまった。「山本さん、あの作品譲って頂けませんか?」と申し出たのだ。すると、山本君は「私も一点十二代作のものを持っておきたかったので、入手しましたが、十五代さんが御望みなら、どうぞお譲りします。作品も十五代さんの手許にあった方がふさわしいでしょう」と一も二もなく快諾してくれたのだ。更にその直後、突然私の留守中に横浜からフラリと訪ねてきて作品を置いて、その足で又風のように横浜へ帰って行ったのだ。私の携帯には彼からのメール。「猿が美山に行きたい行きたいと言っている様なので持参しました!!久しぶりの美山はやはり良いですね。」とある。何と御礼をして良いか、途方にくれる私に「これは差し上げます。沈家伝世品収蔵庫の仲間に加えてあげて下さい」と…。

私は御礼に悩んだ末、私の作品「お昼寝」を横浜に持参する事にした。眠っている猫の背で、ネズミがクスクス笑っている作品だ。猿を頂いて、猫をお渡しした訳だが、山本君の喜んでくれた顔を見て少しホッとした。

この作品は明治二十六年(一八九三年)に薩摩から船でシカゴに渡った。目的はシカゴ万博である。

シカゴ万博に於いては従来の殖産興業が目的の第一ではあったが、加えて「日本美術を美術館に」という事が大目標として掲げられたのである。工芸を含めた日本美術が万博の美術館に飾られる。このことは日本の文化が世界水準にある事を示す事になると考えられたのである。「工芸」という言葉は「ART INDUSTRY」(芸術工芸)の略である。しかしながら、この言葉が日本に輸入された時、日本には未だ「工業」は存在せず、家内制手工業による分業体制しかなかったのだ。実に苦しいネーミングであった。更にそれらの中から「美術品枠」に入る作品に、時の日本政府は五万円の予算をつけたとされる。十二代沈壽官も総数四百点にも上る作品をシカゴ万博に送り込んでいるが、美術品としての登録は三点(透彫を含む)である。そして関係者の交渉努力により、ようやく美術館での展示が認められたのである。つまり、日本工芸が「ART」(芸術)に分類された記念すべき万博がシカゴなのである。

作品に登場するのは二匹の親子(?)の猿である。背負った小猿の甘えた表情と、それを見つめる猿教師の眼差しが実に優しい。以前も「清風」で述べたが、この時代の沈家の作品には「感情」がある。

それは強いコントラストを伴うもので、例えば親と子、姉と妹、老人と幼児、雄と雌、そして、人と猿である。コントラストを為す互いがつくり出す一瞬の感情、そこに「生」の喜びと「命」の尊さがある。それが沈家捻り物の特徴である。この「猿教師」も、見事にそれを表している。

この作品は日本を離れアメリカ大陸に渡り、やがてどういう経緯か、オーストラリア大陸まで渡った壮大な旅の具現者だ。この、華奢な作品は多くの人々に大切に守られ、そして様々な事情で動き続け、横浜の山本君という「稀代」の名コレクターの手により、百二十年振りに故郷の地に戻ってきたのだ。この作品が今まで何を見てきたのか誰も知らない。しかし私達はこの作品から確かに明治の沈壽官工房の「命」に対する深い愛情を伺い知る事が出来る。

「未来の扉を開く鍵は過去にある」という事を改めて感じた。

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