直心直伝「ソウルの展示会場で」

2013年12月28日

 我家には韓国から御客様が数多く見えられる。有難い事だ。渡来以来四百十五年の歳月を経た今でも、こうして思い出しては訪れて頂いている事に心から感謝したい。
しかし時々、そんな韓国からの御客様に名刺を渡して御挨拶をすると、こう言われる事がある。「十五代沈壽官さんは韓国人でしょう?」「いいえ、僕は日本人です」「でも…、血は韓国人でしょう?」「・・・・?」このようなやりとりは実はこれまで何度もある。私は、いや私達はこの「韓国人」「日本人」という分類の間(はざま)でこれまで揺れてきたといっていい。

そもそも「○○人」とは一体何をさするのだろうか?
 私は以前、沈家の古い作品を調査する為に、トルコの首都イスタンブールの街を訪れた。ボスフォラス海峡を往来する多くの船を、時折眺めながら、イスタンブールの歴史を読んでみた。
 紀元前、現在のイスタンブールの地にはアッシリア人と呼ばれる人々が居住していたそうだ。やがてそこへヒッタイト族と呼ばれる人々が侵略してきた。アッシリア人は敗れ、その地はヒッタイト族のものとなったが、かといってアッシリア人は全滅した訳ではない。混住していくのだ。やがて、その地は現在のイランを中心とした大帝国であるペルシア帝国によって併呑されていった。しかし、その後、マケドニアの若き王アレキサンダーによりその地はギリシャ帝国となり、更には、ローマのジュリアス・シーザーという英雄の出現でローマ帝国へと変わった。そのローマ帝国は東ローマ帝国と西ローマ帝国に分裂しその後、新星セルジュークの登場によりセルジューク・トルコ、次いでオスマン・トルコ帝国へと移り変わり、近代に於いて分割の末、トルコ共和国という当時の帝国の規模からは、かなり小さな国(といっても日本などよりは遥かに広大であるが)となったのである。
 ギリシャ系の青い瞳に金髪の人やアラブ、北アフリカ系の浅黒い肌に縮れた黒髪の人まで種々の人々がそこには暮らしている。この複雑に混血された彼等を世界の人は「トルコ人」と呼ぶ。
ここで言う「トルコ人」とは、明らかに人種ではなく、正確に言うなら「トルコ国国民」である。
 そして、先に述べた「沈さんは韓国人ですね。血はそうでしょう?」という問いに戻ると、現在の私は「日本国国民」という事になる。勿論、四百十数年前に朝鮮国より移住した歴史的事実はある。それは、アメリカの黒人達が約二百年前に、アフリカ大陸から連行された歴史的事実と同種のものであり、彼等は現在アフリカ人ではなく、「アメリカ合衆国国民」なのである。そして、そのアフリカからの黒人の末裔の一人が現在、第四十四代アメリカ合衆国大統領バラク・オバマ氏その人である。

  司馬遼太郎先生は、「民族とは些末なものである。文化の共有固体にすぎず、種族ではない」と明言されている。つまり「日本人」「中国人」「韓国人」と云う『種族』は存在しない、という事である。そして、現代の碩学(せきがく)静岡県知事 川勝平太氏は「文化」とは「WAY OF LIFE」(生活の様式)である、と述べている。即ち、「民族」とは「生活の様式を共有する人の集りであり、種族ではない」という事になる。生活様式の中には言語、習わし、習慣から、阿吽(あうん)の呼吸まで様々ある。それらは風土によって異なる。極論すると、その様な文化を共有できる人なら、例え肌が黒くても、瞳が青くても同じ民族であると言って良い訳だ。
  目立たないが、我々、日本も韓国も実際はトルコと同じ状況、つまり複雑に混血した状況にあると言える。したがって、その中で僕は「日本の生活様子の中で生まれ育った、日本国国民の一人」である。そして日本生まれの在日韓国人三世、四世は、もはや明確に韓国系日本人であり、私は古典的(オールドカマー)韓国系日本人となる。

  しかし、韓国の一般の人々はその様な情緒にはならない。「民族」「血」「種族」「骨」といった漠然とした概念が、はっきりと存在していて欲しいという願望がある。その欲求は現実と交差し、「韓国人」=「韓民族」(固有種)というイメージになる。自らも遥か昔に中国や北辺の地、あるいは南方から舟でやってきた移住者であるかも、という客観性を口にしながら、それと並立して「韓民族」という純血種の様なものが古代から存在し、自らもその一人であると信じたいという、矛盾した思考をする。従って、「沈壽官は血は韓国人、韓民族であってほしい」から「沈壽官は韓国人である」になる。

  その様に曖昧で、情緒的なものが日本より比較的多く存在する韓国社会である。しかしながら、私に対する彼らの心情は率直に申し上げると有難いなぁとは感じる。

私は先月ソウル市の「芸術の殿堂」という非常に素晴らしい施設で展示会(ソウル新聞社・青松郡主催)を開催していただいた。御挨拶の中で私は申し上げた。
―「薩摩焼の四百年の努力とその成果を韓国人の民族の力であるという自尊心に単純に帰着させて欲しくない。確かに苦難の歴史であった。しかし、同時に日本の社会と相和し、互いを認め合い、日本人に励まされながらここまで来れたのです。そうでなければ『恨み』や『反発』だけで四百年間もの歳月を永らえる事は決して出来ない。薩摩焼とは不幸な時代の風に飛ばされた父なる韓国の種子が、母なる日本の大地で芽吹き開花いたものであり、この二つの国の恩愛によってここに今在るのです。そこを是非、理解して欲しい。」と。

  今回述べた「〇〇人」と云う、ついつい日常的に使う曖昧な言葉は、厳格な視点を持って捉えていないといけない。さもないと、あの軽薄な政治家達の言葉尻に乗って、世界が大きな過ちを生むのではないかと危惧するからだ。

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