「革新の誕生」とは

2021年10月26日

 先日、太宰府の九州国立博物館で「皇室の名宝」展が開催された。
この企画展は宮内庁の三の丸尚蔵館に館蔵されている品々(即ち天皇家が宮殿内に装飾品として飾ってあった物)を、初めて九州の地で紹介するという画期的な展示会だ。
 その会場に十二代沈壽官製の香炉一点、花瓶一対が展示され注目を浴びた。竹籠の陽刻で覆われた全体に、立体的な菊花を隙間なく貼り付けてある。花と花を繋ぐ立体的な茎と葉、その中を舞う蝶。更にそれらに施された彩色。
十二代の従来の作例と比較して、装飾過多と呼びたくなる出来栄えである。何故ならそれまでの作品は豪華であっても、絵付けの間に間合いを取り、白薩摩独特の温もりのある生地と釉薬の微細な貫入を見せる事を忘れないからだ。
明治天皇陛下にお納めする一世一代の作品である事に加えて、外国の賓客の視線を意識したとも思われる。
 そして、その作品は「命の躍動」に溢れている。
その作品を見ながら、私は同時に今春、東京国立博物館で開催された「桃山」展を思い出した。
日本の文化を代表する当時としては極めて前衛的な桃山文化の展示会であった。
 「桃山期」とは大坂城落城迄を指す戦国時代である。意外である。
 何故なら、それまで私は文化とは、太平の爛熟期に栄えるものだ、という固定観念に支配されていたからだ。
 清の時代、朱炎という人の「陶説」の中に「陶に拠って政を観る。政に拠って陶を観る」とある。つまり焼物は時代の産物である、という事だ。
 改めて桃山を振り返ると、実際には、戦国時代と呼ばれる「乱世」に、革新的な美が生まれているという事が分かる。
 「乱世」とは従来の秩序が破壊され、新しい支配者が新しい概念を打ち出す世である。
 そこは同時に血で血を洗う凄惨な下克上の世界であり、多くの「死」が覆う現実の中で、それまで無かった新しい「生」の概念が誕生しているという事だ。
そこに大航海時代の南蛮文化が加わった。

 「破壊」と「創造」、「死」と「生」この対立しながら共存する二つの概念を海外の文化がつなぎ、新しい革新的な試みを織り成していく。
 其れはアートと呼ぶに相応しいものかもしれないし、或いは新しい支配者の為に供された、デザインであるのかもしれない。

 十二代の明治天皇にお納めした物は、宮内省から指定された形状も、サイズも、価格も、つまり何のリクエストも無い筈である。
 彼が自ら考え、工夫を凝らし、決して観ることの出来ない空間の中に収まる事を想像しながら、製作したのであろう。
 それは、もはやアートと呼べるものである。

明治という乱世は、やはり新しい美の概念を生み出したのだ。

乱世は従来通りではない。つまり、生きづらいものである事は間違いないが、既成の枠組みが弱まり、新しい概念が生まれる時代でもあるということだろう。

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