「ものづくり」の誠意とは?

2017年12月27日

 皆さんは『樟脳』という言葉をご存知だろうか?
樟の木(クスノキ)の木片を蒸留し、そのエキスを抽出したものだが、この樟脳の日本最初の生産地は我が美山である。
 
 この樟脳、用途は実に多様である。先ずは防虫効果が高い。ナフタリンの原料である。又、香木としての価値も高く、精神を落ち着かせる効果がある。香木としてパリ万博へも出品されているのだ。
また、セルロイドや、無煙火薬の原料でもあるらしい。
 
 鹿児島は元々、この樟脳の大産地であったという。
秀吉の朝鮮出兵の際に、半島から連行された技術者によって始められ、薩摩藩に莫大な利益をもたらしたと言われ、『東洋の白銀』とも呼ばれたとのことだ。
明治三十六年以降は専売品として、タバコや塩などと同じように貴重な政府の財源として扱われた。
 
  これまで、僕は樟脳は樟の木のエキスと聞いていたので、樟の木の表面を傷つけ、そこから松ヤニの様に樹液を取り出すのか?と勝手に想像していたが、そうではなかった。
 
 先日、幸い樟脳の製造を見学する機会を得た。殆どの方がご存知ないと思うので、その工程を簡単に説明したい。
 
 先ず、樟の木を旋盤に付いたスプーン状の刃物で刳る様にカットする。
それらの大量のチップをタンクに入れ、下から湯を沸かし水蒸気蒸留する。そうすると樟の木のチップから樟脳成分が蒸気と共に湧きたち、やがてパイプで別のタンクに送られて容器ごと冷やされる。水と分離する性質を持つ樟脳を取り出し、重しで搾り出す。出来上がった真っ白な粉末を固めたものが商品となるのだ。
 蒸し終わった樟の木のチップは蒸気を出すための湯を沸かす燃料に再利用され、更にその灰は鹿児島の『あくまき』(チマキ)の製造に用いるべく送られていく。
捨てる所のない、完璧な循環である。
僕が見学した工場は残念ながら大牟田であって鹿児島ではない。おそらく、現在では鹿児島では生産されてはいないだろう。
 
 内野樟脳五代目は四代目当主の奥様だった。ご主人亡き後、この樟脳工場を一人で守ってこられたとの事。
僕が訪ねた時も、一人で釜を焚きながら、樟の木のチップを水蒸気蒸留されていた。
僕達が窯を焚く時のような激しさはないが、その慎重な焚き方には訳があり、水蒸気の沸き立たせ方が大事なのだと言う。
グラグラと沸騰させてもいけないらしく、足りなくてもいけない。
水蒸気の出し加減が難しいのだと話されていた。
 
成る程、それは微妙だ。
 
 僕は毎年、美山窯元祭りで登窯を使ってパンを焼いているが、210度から190度の20度の世界を知り、登窯の1280度と1260度の違いと同じだなと感心した事があったが、蒸気の出し加減で樟脳の取れ方が違うとしたら、これも又深い話だ。
 

思わず、やってみたくなったが、他人のナワバリで勝手なことはいけない。
 
奥様はいよいよこの工場も手放されるとの事だった。後を受け継いでくれる人が見つかりましたから、と話され『私は今のこのやり方が一番良いと信じています』と言っていた。
このやり方、とは江戸時代と殆ど変わらない昔ながらのやり方である。そのやり方が一番良いと言う。揺るぎないものを感じた。
 
製品は一年待ちとの事。
専売品として、大量に生産されていた時代からすると隔世の感があるが、それでも今日まで、この製法を守って来られた事に頭が下がる。
 
 現代社会に生きる私達は『流通』という怪物に巻き込まれている。電話一本、パソコンメール一つで何でも手に入る。
それを便利だと思っているし、それ無しではもはや生きていけなくなってしまった。しかし、そこには、土地柄の制約も無ければ、歴史の必然性も無い。場合によっては季節すら無いのだ。
 さらに、取り寄せた物が本当に本物なのかの検証のしようもなく、名前だけが一人歩きする。○○産の魚です、○○産の原料ですと。しかし、それが本当にそうかはわからないままなのだ。そんなわからないものに囲まれているのが、現実で、それらを可能にしているのが『流通』なのだ。
 
その中で、グッと足を踏ん張り、流れに逆らうように自らの目で確認出来たものだけと付き合う。
それこそが、素性の良いものとされるのだ。そして、生産者の消費者に対する誠意であろう。
 
 今の時代に、『正しい物』を求められているとしたら、私達はこの流通という化け物に流されるのではなく、対峙しなければならない。様々な物を確認しながら吟味して、選び取る目を持たなければならない。伝統工芸の世界に身を置く我々ならばなおさらであろう。
 
 『内野樟脳』、久しぶりに正しい物作りに会えた。
 

ページの先頭へ