直心直伝

2015年11月11日

7月13日、念願のポルトガルへ旅をした。

理由は、イタリア、スペイン、フランスといった大国の蔭で、目立ちはしないが不思議な存在感を湛えている事にずっと興味をそそられていたからだ。会社に無理を言ってついに10日間の休みをとった。

30年前、イタリアに留学生として滞在していた頃、休みの度に夫婦で僅かなお金を持ち、あちらこちら貧乏旅行をした。西はスペイン迄は行ったが、その向こうのポルトガル迄は行けなかった。

極東の島国に暮らす私にとり、ポルトガルは正に西の果ての国である。以前、名古屋に住む、知り合いの大野さんが、リスボンから絵葉書をくれた。それを読んだらもう、いてもたってもいられなくなってしまった。ついにはポルトガルに対する想いが自分の中で様々な幻想を産んでいった。

夕暮れに、大西洋から流れ込む霧の中で輝く港の街路灯。近くの酒場から聞こえてくるファドの低く悲しい調べ。教会の鐘の響き。古い街並みの坂道の踊り場にある小さな食堂。トマトとガーリックで煮込まれた塩の効いたタコやイカのエキゾチックな香り。脂の乗ったイワシを焼く煙とオリーブ油。人々の喧騒。ポルトガルの冷えたビールとポルトワイン。(何か酒に因んだものばかり)

そして大西洋の水平線。

かつて、遥かなまだ見ぬ陸地を信じて、エンリケがバスコ・ダ・ガマがフランシスコ・ザビエルが船出して行った。彼等は、赤道を越え、南アフリカの喜望峰の大嵐を木の葉の様に乗り越え、インド航路を拓いた。ついにザビエルは鹿児島に入った。種子島には鉄砲が伝わった。更には、大西洋を横断し、南米大陸を発見、あのブラジルを植民地としたのだ。

人口一千万にも満たない小さく、そして偉大な海洋国家、ポルトガル。

ミラノを経由して北部のポルトという街に着いた。街の中心を流れる河を挟んでポルト地区とガル地区に別れる。ポルトガルの国名の語源になった冗談の様な街だ。この景色が世界遺産に指定されている。街並みは清潔で、石造りの建物が並ぶ。窓には洗濯物が掛けられ、暮らしの香りがする。イタリアやフランスほど威圧感が無いのがよい。この街の美術館でポルトガルを代表する彫刻家、アントニオ・ソアレスの作品を見れた。あまり日本では知られていないが、ポルトガルを代表する超素晴らしい彫刻家である。

郊外を走ると、まず気づいたのは樹木だ。ボディに白いペンキで数字を書かれた樫の木。どうやら9年に一度表皮を剥いで、コルクを生産しているとのこと。次の収穫に備えて、剥いだ年を記しているらしい。ポルトガルは世界のコルクの65%を産している大コルク生産国だそうだ。次にユーカリ。これはオーストラリアから持ち込まれたものだが、10年で成長を遂げるらしく、ここではパルプ(紙)の原料となる。最後に松である。松の木の地上1メートルほどの所にぐるりとベルトが巻かれている。そこに木を囲むように幾つかのコップが取り付けられ、上部の樹皮が剥がされている。これは、松ヤニを集めているのだ。接着剤に加工するそうだ。整然と植えられた松林の腰に、ずらりとコップが並んでいる様子は、防風林と言うより、松の畑である。日本の様に鬱蒼とした樹林ではない。全て、人の手が入っている。

土地は赤い粘土質の土と岩石である。痩せている。彼等を大西洋に送り出したのは、この痩せた大地かもしれない。

山には至るところに山火事の後がある。夏になると頻繁に発生するらしい。人為的な場合もあるが、自然発火もある。大西洋から吹き込む風に煽られ、松やユーカリという油分の多い木々は実に良く燃える。

雨は少なく乾燥している。また、夜と昼の寒暖差が大きい。そんな気候を利用して山の傾斜には葡萄とオリーブの畑が広がる。イタリアにいた私も見たことが無いほどのスケールだ。ヘン岩と呼ばれる岩を板状に割り、それを積み上げて延々と山頂まで棚を作っている。果てしない作業だ。到底、数十年で完成する物ではない。日本にも棚田はある。石川県で千枚田と呼ばれるかなりの棚田も見たが、比較にならない巨大な延々たるスケールスケールである。これも世界遺産に指定されている。

急勾配に植えられているため、収穫は全て人力で行う。収穫の季節になると、夥しい季節労働者船で、列車で、車で集められ、朝早くから籠を持ち手摘みをするそうだ。私にも、来ないかと誘いが掛かったが、断った。

良く日本はフローの社会であり、ヨーロッパはストックの社会と言うが正しくそうである。ポルトガルの荘園で働く農民たちは、幾世代にわたり、黙々と働き世界的に類を見ない素晴らしい景観を作り出した。そう言えば、ポルトガルの事を日本では葡萄国と呼んだ。

結婚30年目の旅はポルトガルだった。気候は穏やかで、安全で美しい国だった。

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