日本の陶芸はそのルーツを韓半島に持つ。勿論、更に辿っていくと母なる中国へと至る。
私が何故、『母なる中国』と言うかというと、韓半島が母の胸から垂れた乳房に見えるからだ。そうすると、日本はさながら母親に添い寝する子供のようにみえる。
事実、古来より実に多種多様な中国の栄養を韓半島という乳房を通して日本は吸収してきた。それらは終着駅・日本に留まり、棄てられることなく、腐らされる事もなく、この最果ての東の島に住む人々によって大切に保存され、磨かれ、活用されてきた。
人類が初めて知った化学と言われる焼き物ではない。粘土で形を作り、炎をくぐらせる事で固くするという大陸の知恵を学んだ古代人達は、神に祈る器、煮炊きをする器、貯蔵する器さらには死者を埋葬する棺まで焼き物で作った。『用』の登場である。やがて、技術は、日本の風土の中で、まるで淡水湖に生きる魚の様に静かに進化を遂げていった。そして遂に余計な挟雑物の一切失せた清潔で強い民族の形となっていったのだ。日本で『六古窯』と呼ばれるものがそれだ。越前、瀬戸、丹波、信楽、常滑、備前は、いずれも弥生からの脈々たるルーツである。
その日本陶芸に一大衝撃を与えたのが、豊臣秀吉による朝鮮出兵である。これにより、大量の朝鮮人技術者が西日本に到来した。この時、従来の日本陶芸に無かった二つのものが半島によりもたらされた。ひとつは『釉薬技術』である。特殊な石の粉と木の灰を混ぜ、それを水で溶いた液体を成形を終えた器にかけ高温で焼くことにより、焼けた器をガラスの皮膜で覆うという先進の技術であった。これにより器は堅牢になり、かつ光沢を持った。もう一つは『白さ』である。土を白くしたり、白い釉薬をかける事により、『描ける焼き物』が誕生した。これは日本陶芸のデザインに衝撃的な躍動感を与えたと言えよう。『美』登場である。
ちなみに、小生の祖先も慶長の役の際、韓国全羅北道南原の戦いに於いて、逃げるに拙く、小西行長旗下の島津軍により捕らえられ、薩摩に連行された陶工の一人である。
しかし薩摩では、捕虜の中でも特別な技を持つ者を厚遇し、その持てる技術の土着化を計った。この辺りが、朝鮮人技術者スカウト説の元になっているようだ。人生と家族を分断され、言葉も通じない侵略者の元へ連行される悲哀に想いを馳せる事のできない人が残念ながら世の中にはいる。
いずれにせよ、多種多様な朝鮮人技術者達が日本を終の棲家と決め、日本の土になっていった事が、絢爛たる江戸期の文化の醸成に一役も二役もかった事は間違いない。
韓国には、この時の陶工の日本への大量連行が韓国陶芸の質の劣化を招いたと嘆く説がある。真偽の程は良く分からぬ。ただ、韓半島に於いて、肉体を酷使する職業に就く者を目下に見る傾向があるのは事実である。貴い者は、汗をかかないといった階級意識が古来から根強く存在する。事実、私も韓国の学生に『何故、早稲田大学を卒業しながら、焼き物作りをするのですか?』と真剣に訊ねられた事は一度や二度ではない。彼らは、一流大学を卒業したら、汗をかかない職業に就くのが当然だと考えているようだった。
日本は必ずしもそうではない。腕に覚えの在る技術者に対しては素直に尊敬を寄せる。相対的価値観と絶対的価値観の相違であろうか?私は祖先を敬うように、家業を敬っている。その絶対的価値観の中に自らを込めたいと考えているだけだ。それは私だけではない。
このように、物作りを取り巻く社会環境の違いは作り手にとっては重要な要素になるであろう。もし韓国の陶芸が劣化したとするならば、日本の連行に加えて、物作りを取り巻く社会環境や物作りに対する人々の意識にも注目すべきだろう。
そこで思うのは、何故日本人はこれ程までに焼き物が好きなのだろう、という事だ。歴史的に見ても異常な程だ。
私は、それは『割れる』という事に起因するのではないかと考えた。割れる事は、即ち死を意味する。
日本は、度重なる天災に幾度となく見舞われてきた。地震、津波、台風、噴火。そして天災はこれからも永遠に我々を脅かし続けるのだ。
日本の歴史は正にそこからの復興の歴史と言っていい。地蔵菩薩信仰でいう所の『賽の河原』であろうか。圧倒的な自然の猛威に、繰り返し叩きのめされる中で一つの諦めの境地が生まれる。つまり、無常観である。姿有るものは必ず壊れ、人は必ず死ぬという。日本の文化、芸術は全てこの点に立脚している。割れる焼き物に日本人が惹かれるのは器に『命』を感じるからなのではなかろうか。
『海の絆』岡田 哲也
海がへだてるものがる
海がつなぐものがある
海のかなた夢にみるのは いつの日も
ふるさとの山
ふるさとの川
泣きながら別れた人がいた
泣きながら過ぎた岬があった
だがわたしたちはシケの日も 凪の日も
土よりもねばり強く
炎よりもやさしい歌をうたい
イバラの波もこえてきたのだ
海をわたる風よ
海をわたる鳥よ
十億万土のあの人に
せめて伝えておくれ
わたしはいまも
達者であると
どうにかこうにか
達者であると
海のかなた夢にみるのは いつの日も心のふるさと 帰れないふるさと
海がへだてるものがある 海がつなぐものがある
(ソウル新聞「テソロ」掲載原稿)