直心直伝「青松と南原」

2014年7月26日

私にとって韓国の「青松」と「南原」はとても大切な場所だ。慶尚北道青松はその名の示す通り見渡す限り松の山が続く。「松に古今の色なし」とか「千年の翠」などと言われるように、真冬でも山々は雪をかぶりながらも青々としている。ここは沈一族の本貫の地である。本貫とは姓のルーツを示す言葉であり、王様より賜った領地の様なものだ。韓国の沈一族は全てこの青松に連なる。金や李、朴といった数多くの末裔を抱えた一族に比して、マイナーな一族といえよう。金氏や李氏などの多数派は韓国のあちこち多くの本貫を持っているのだ。沈家にとって、又私にとっても青松は『始まりの聖地』なのである。人口二万七千人程のささやかなこの地域には、周王山と呼ばれる壮大な岩山がつくり出す見事な渓谷とそこを流れる澄み切った清流があり、これに惹かれて毎年多くのハイカー達が集まる。紅葉のシーズンに入ろうものなら、一日に十万人もの人々が集まる程だ。鮮やかな紅葉のしたをド派手なウェアーの韓国人ハイカーが入り混じり、この時ばかりは山が色の洪水になる。韓国人は何故、あれ程の強く派手な色を好むのか不思議に思う。ここの名物はリンゴと青松鳥と呼ばれるニワトリ、それと韓国一の生産を誇るまつたけ、山菜、薬草、それに清流でとれるカワニナだ。朝はたっぷりのカワニナと干白菜を牛骨のスープで煮込みそれに塩味を加えた、実に滋味豊かなスープと、幾皿もの山からの薬草で作られたキムチが並ぶ。慶尚道は食事が不味いなどと聞くが、少なくとも青松に於いてはその心配は全く必要ない。韓国で最も空気が美味く、水が澄んでいるといわれる青松は、確かに良い風が吹く。いくつもの峠を越えて掌の様な青松の里へ入ると本当に清涼な気持ちになる。

一方、全羅北道南原は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、我家の日本に於ける初代、沈当吉が薩摩の島津軍に捕らえられた地である。広大な智異(ちり)山の山塵に位置する音楽と文学の町である。我々の初代達は日本軍の捕虜となり燃えさかる南原城を後にしたのである。すなわち「南原」は我家にとって韓国に於ける「最後の聖地」なのである。この南原には「春香伝」という韓国最古のラブロマンスがある。内容は概略以下である。朝鮮王朝時代、昔昔の話である。(何故か韓国では昔々という代わりに「虎が煙草を吸っていた頃」というのだが)、南原に春香という名の美しい少女がいた。彼女の母親は宴席で楽器や躍りを披露する芸人であった。彼女が仲間とブランコに乗って遊びに興じている姿を一人の青年が遠くから見つめていた。彼は南原に赴任してきた長官の一人息子であった。息子は春香を見るなり、恋に落ちてしまったのである。やがて二人は愛を語るようになり、将来を誓う仲となった。しかし、青年の父親に異動の辞令がおり、彼らはソウルへと帰っていってしまった。若い二人は遠く離れてしまったのである。不幸は更に続く。新任の長官は春香の美しさに目をひかれ、春香を自分の側室にと強要するが、将来を誓った相手がある春香はこの申し出を拒絶した。その春香に待っていたのは入牢の罰であった。折しも、ソウルに戻った青年は春香の事を忘れられず、春香を連れ帰る為南原に戻って来たのである。春香の不幸を目にした青年は新任の長官に戦いを挑み見事春香奪還に成功し、二人は手に手を取って幸せな人生を送ったという話である。身分階級制度の厳しい朝鮮王朝時代に芸者の娘と長官の息子が愛し合うなどあり得ない話なのだが、しかし、有り得ないが故に庶民の間で大流行したストーリーである。毎年五月のゴールデンウィークには市を挙げて「春香祭」を催し、韓国の三大イベントなどといわれている程だ。又、この南原はパンソリと呼ばれる韓国独特の歌謡のメッカであり、国立の音楽団や市立の国楽団が拠点としている音楽の里でもある。ちなみに名物はドジョウのスープである。ドジョウの内臓を清水できれいに洗い、韓国のゴマ、唐辛子のミソでじっくり煮込んだスープだ。パワー満点の御当地メニューである。

さて今年の春香祭は私も出席の予定でいたが、セウォル号沈没事故で残念ながら延期となった。多くの犠牲者の御冥福を心から祈りたい。

「青松」という「始まりの聖地」、「南原」という「最後の聖地」この二つは私にとって永遠の聖地である。皆さんも是非、通常の韓国の旅に飽きたら、是非ふらりと足を伸ばしてみて頂ければ幸いです。

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