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十分屋

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京都高島屋での個展の挨拶回りで京都に来た。
大体挨拶回りというと一日15〜20件程回る。
玄関先で済ます場合もあれば、お宅に上がる事もある。
中には想像を絶するような素敵なお宅もあり、その材木の選択や部屋の造り、庭の素晴らしさは物を作る側の人間にとって本当に勉強になる。
そんな中、名刺が足りなくなってきた。
どうしよう…と焦ったが、担当の平井部長いわく『先生、十分屋いうのがありまっせ。聞いてみまひょか?』 つまりスピード印刷で名刺を作ってくれるところらしい。
『あ、良いですね。是非、お願いします』というわけで、十分屋に立ち寄った。
僕の理解では、パソコンにプリンターがあり、若いスタッフが元気に対応…と思いきや、出て来たのは一人の爺さん。
『あの、名刺を…』
『はいはい』
『…あの』
『できまっせ』 僕は名刺のサンプルを渡した。 ふと目をやると見たこともない機械。
磨きこんである。
『これ、なんすか?』 『印刷機だす。もう五十年つこてますけど、一遍も故障した事おへんのや』 驚いた。
印字を組んで、この機械で刷るのか…。

気をよくしたのか、爺さんは機械を動かしてくれた。
『ガシャン、ガシッ、』質量感溢れる音、見るものに感動を与える動きだ。
五十年というと、爺さんのキャリアは正にこの機械と共にあった事になる。
機械には『1850〜1960』と創業年が刻んである。

爺さんはこの1960に当時最新鋭のドイツ製印刷機を買い、二条木屋町に印刷所『十分屋』を開いたのだ。

パソコンもプリンターも無い代わりに、在るのは一徹な職人と一台の名機だった。
失われた日本の『ど根性』を京都の町外れに見つけた。
刷り上がった名刺は表裏、実に見事。 紙質も最上級でまるで薄い板の様だ。

ちなみに、値段も超一流で一枚百円!。
あれ程感動したのに、一枚配るたびに『百円』『百円』と心の中でつぶやく己の小ささを恨めしくおもう。

音楽

音楽は面白い。

僕は基本的に音楽大好き人間。


しかし特に詳しいわけではない。

何でも雑多且つ無節操に聴く。

僕の酒と同じ、雑多且つ無節操に何でも飲む。

ちょこっとかじったといえるのが、60年代、70年代のR&B位。


音楽が面白いと言ったのは、音楽が見る景色を変えてくれるところだ。

例えば車でナポリ・カンツォーネを聴きながら走ると、鹿児島の田舎の景色が南国の豊かな明るさに満ちてくる。

ボビー・コールドウェルを聴いて東シナ海を眺めていると、ハワイのオフショアのビーチとは言わないが、ウェストコーストな感じがして心が和む。

ジプシーキングを聴きながら桜島を見ていると、全身に力が湧いてきて、よし!生ビール飲むぞ!と誓う。

韓国の70年代フォークを聴きながら車を走らせると九州自動車道がまるで京釜高速道路(ソウル〜釜山)に見えてくるし、天文館でチョーヨンピルの歌が流れると、コムタンの香りを思い出し、大好きなソウルの裏町人情酒場にトリップする。
更に、そのお陰で大嫌いだった故郷、鹿児島の田舎臭さを少しずつ好きになれた。


好きな音楽は全て僕の旅の記憶とだぶる。

インド音楽もラングーンの市場で流れる流行歌もロシアの道端の弾き語りも…。

唯一R&B以外は。


何故なら僕はアメリカ南部を知らない。


世界29ヶ国を廻ったのに、一番行きたいテネシー州に行けてない。
一度で良いから、メンフィスの街を徘徊してみたい。

オーティス・レディングを生み出し、エルビス・プレスリーが育った街。メンフィス。


ゴールド・ワックス・レコードの跡地で、ジェームス・カーやオベイションズを偲んで、バーボンを呑みたい。

もしかしたら、その時は美空ひばりの『悲しい酒』を口ずさむかも知れないけど。

個展終了日は青空

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個展も残すところ後一日。


沢山の方々に出会い、再会し、沢山の優しさを頂いた一週間だった。


本当に有り難うございました。


今、時代は混沌としてあたかも先行きは見えない。


でも、やりたい事とやるべき事は知ってるつもりだ。


悔いの残らぬように、落ち着いて前進したい。

横浜から久々ブログ

横浜高島屋で個展中です。
二日目に台風の手荒い祝福を受けた。
神奈川県ではトータル五回目の催事になる。

他県に比較して圧倒的な多さだ。

恐らく、これが済んだら神奈川県にお邪魔する機会はしばらく遠退く事だろう。
とにかく悔いの無い様にしなければ……、

実はこの街は僕の生まれた街でもある。
一般的に鹿児島出身と記しているが、実は横浜市戸塚区が、御生誕の地だ。

だから『ハマッ子』と言いたいが、三ヶ月しか居なかったらしいので、その資格は無い。
あまりにも御幼少の頃で全く記憶にないし、あるはずも無い。
戸塚の駅にも、一度も降りた事もなく、それどころか、戸塚と聞いて、あのスパルタ『戸塚ヨットスクール』を連想し、あのいかつい先生の風貌と重ね合わせ、逆に恐怖したものだ。
そう考えると、あの先生は戸塚区の住民達に、やや迷惑をかけたのかもしれん…(笑)。
こんな下らない事ばかり、書いているので、最近、初対面の方に『ブログ見てますよ』と言われると、それだけで悶絶し、逃げ出しそうになる。
自分でズボンを下げといて、『見てるよ』と言われて逃げ出すなんで、ある種の露出狂みたいで、つくづくアホだと思うのだが…。

訂正

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揺れるバンの中でメールしてたので『あ』がぶっ飛んでた(笑)。

それからもう一人、大事な人、忘れてました。


サンクトペテルブルグの川端総領事。


皆さんに改めて、
『スパシーバ!』

※ちなみに掲載写真はプーシキンの宮殿のアモルちゃん。東側の窓に在るので、朝日が眩しそうです。

ダスビダーニャ(さよなら)

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朝七時。

空港までの車をエルミタージュのタチアナさんが手配してくれた。

ガタガタの大型のバン。

エルミタージュの車だ。

ロシアの運転手はとにかく運転が荒っぽい。

乗り合いバスもあんまり飛ばすし、揺れも半端じゃ無いので、一体何キロ出てるんだろう…と覗いたら、メーターの針が無かった(笑)。

ロシアを去るに当たり、お世話になった方々に感謝したい。


学芸員タチアナ・アラパバ、研究員アーニャ・エゴロワ、コーディネーター池上みどり、ピョートル大帝、後妻のエカテリーナ一世、長女のエリザベータ、その養子をクーデターで叩きだした嫁でドイツ女のエカテリーナ二世、その孫でナポレオンを破ったアレクサンドル一世、その弟の孫、アレクサンドル三世、その子のニコライ二世、……。

みんな!りがとうございました。

血の上の救世主教会†

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壁という壁、全てが輝くモザイク・タイルという高さ1センチ、幅2センチ程の小さな陶片でうめつくされている。

イスタンブールのブルーモスクも素晴らしいし、そもそも本来、モザイクと言えばイタリアのラベンナという街が有名である。

ラベンナはアドリア海に面した港街、長靴の形をしたイタリア半島の丁度、ふくらはぎの辺りになる。

故に、イタリアにも素晴らしいモザイク壁画は数多くある、が、そのいずれも比較にならない程、豪華である。

キリストの一生を描いているが、実に見事としか表現出来ない。


マチス(印象派の画家)がこの青に惚れ込んだのも解る。


本当にあの粗っぽいロシア人が造ったのか…?と驚いた。

やはり、イスラム教とキリスト教の二つの良いとこを併せ持っている様に感じる。

しかし、ふと思った。

このロシア人に日本の桂離宮とか、萩焼の大名物茶碗なんかを見せても、『なんだこれ?汚ねぇし、小せぇな…』位しか思わないかもしれない。

あの『侘び』『寂び』といった無常観の美意識は残念ながら、我々アジアだけの宝だ。

教会を一人出て、さっき450ルーブル払った場所に戻った。

ふと目をやると、何処かの国のカップルが、やはり金額を聞いて、エッ?という表情をみせていた。

それから一瞬顔を見合わせて互いの覚悟と腹の内を探っている…。

彼氏は明らかに『高ぇな…、止めようぜ』しかし彼女はさっさと財布を取り出した。


それを見た彼氏も慌て財布を出していた。

それを少し離れた場所から見ていて、あぁ、運命の分かれ道だけど、この男、彼女に付いて行った方が幸せが開けるな…って思った。(笑)

血の上の救世主教会†

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『効き目無し八人衆教会』(カザン教会)の遥か向こうに気になる建物が見えていたので夕方立ち寄ってみた。
『血の上の救世主教会』

なんと!モスクワの赤の広場にもある、あの憧れの『玉ねぎ教会』だった!

名前と外観はえらく異なり、お菓子の家の様に華やかで可愛く…まさにファンタスティックだ!

アレクサンドル二世が暗殺された場所に建てられた教会だから『血の上の救世主教会』と呼ぶらしい。


昔、ソビエト連邦が鉄のカーテンで閉じられていた頃、モスクワからの中継のバックに映ってる色とりどりの『玉ねぎ』達に見惚れていた。

いかついイメージとあまりにかけ離れた『玉ねぎ』達の映像だったからだ。

最初はあれがクレムリンかと思った程で、スターリンを誤解していたな…と誤解した程だ(笑)。

あの玉ねぎはキャンドルの炎をデフォルメした物だと云われているらしいが、僕には『玉ねぎ』にしか見えない。

入ろうとしたら『効き目無し八人衆教会』と違い、オバサンが『金を払え』と言う。

『いくら?』と聞いたら150ルーブル(750円)と聞こえたので、払ったら、オバサンがエライ剣幕で何かしら言ってくる。

巻き舌の英語なので解りづらい。


450ルーブル(2250円)だと…?

我が沈寿官伝世品収蔵庫が大人300円、中学生以下はただなのに…。

ま、一万キロも飛んできたのだから悔やむより見ていこう、と入ってみて驚いた。
続く

シンガー社

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地下鉄の前に立派なビルがある。
これはミシンのメーカーとして世界的なシンガー社が1900年代の初期に建てたものだそうだ。

当時としては最新のオフィスビルだったろう。
ただしシンガー社の不幸は、建てた直後にロシア革命が起きた事だ。

ロシア革命は正確には二回ある。

ブルジョア革命とプロレタリア革命だ。
最初の革命が1915年、次が1917年。
ロシアはそれ迄、大地主が伝統的に地方を支配していた。


領主は夏の間は支配地にいて、冬になると街に移り、毎晩贅を尽くした舞踏会に明け暮れた。

その間、農奴達は本当に貧しさと戦っていたのだ。
やがて、産業革命の結果、工場が出来ると農奴と地主という二極化の間に工場労働者と経営者という新しい土地に依らない階級が生まれた。

新興の経営者は土地は持たないが、金はある。

いつまでも貴族にデカイ顔させとく訳にいかない。


ロマノフ王朝に対する不満は充満していた。

そして、ついに一次革命は起きた。
しかし、被支配者である労働者や農奴にしてみれば、貴族が消え、替わりに新興の金持ちが取って代わったに過ぎなかったのだ。


不満は収まらない。

その頃、工場労働者であったレーニンはその弁舌で次第にその存在感を強めていった。

そして二年後、二次革命が起こる。


リーダーはレーニンである。


シンガー社の最新のオフィスビルは新しい支配者に奪われ、そして国旗すら変えた、新しいロシアになっても、未だに帰して貰ってない。

可哀想なシンガー社はロシア政府に返還を求め続けている。


一度、奪ったもの、手に入れた物は決して帰さない。

それが例えば砂一粒であったとしても。


ロシアのことわざに『わらの上の犬』という言葉があるそうだ。

犬はワラを食べない。

しかし、ワラを取ろうと近付くと、うなり声をあげて威嚇する。

僕たちの島々もなかなか帰ってきそうにない。

訂正

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ニコライ二世の文中に島津忠義がニコライに『焼き飯』と書きましたが『焼物』の誤りです。
『ヘェ…そうか…島津公は明治24年にロシア皇太子に焼き飯とレバニラを……』とマジに思ってたアナタ!…かなり重症ですよ。

焼物です。

宜しくお願いします。

ちなみに安ホテル、グリフォンの近くには『唐人』と『ハルピン』の二軒の中華料理屋がありますが、美味いです。
掲載写真は昨夜9時頃、唐人の前辺りで写しました。
二軒とも焼き飯は、ご飯パサパサで米粒の形も日本の物とは異なる美味しくない本物です。

ロシア語のメニューが読めない為、しょっちゅう行ってます。

紹興酒が無く、ラストにウォッカを一杯飲みますが、身体が暖まり、頭は朦朧としてきます。

すると、すれ違うロシアの男達がイワン雷帝や怪僧ラスプーチン、ロシアン・マフィアやK―1ファイターに見えてきますから不思議です。

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