15代日記 | 2011年3月14日
つよく いきて いかねば。
博多天神の三越百貨店九階で『歴代沈壽官展』が始まった。
会場は日本橋本店のそれより広く、天井も高い。
多分、大恐竜展でも出来るぐらいだ。
従って照明も4,5ートルという、かなりの高さからのシュートになる。
初代から現在までの時間の流れを、『物』で見せる展示会場とは、考えてみたら極めて非日常の異常空間だ。
そこは四百年が凝縮された濃厚な空間た、
もとよりタイムスリップなぞ出来るわけがないのに、このスペースではそれが出来る。
それは一つの土地、一軒の家、一つの家系、一つの業種に絞って展示しているからだ。
つまり、見る側は対象物の種類の変化に合わすのでなく、そのまま時の流れに身を委ねれば良いからだ。
展示物達は互いに共鳴しあう。
それはあたかも盆に親戚中が本家に集まり、老人達が昔話に花を咲かせ、久しぶりに会った従兄弟達はゲームに興じる様だ。
或いは、遠く離ればなれになった者同士が百年を超える時の果ての邂逅の喜びに身体を震わせ、涙するかの様でもある。
その姿無き共鳴の波動が見る人に伝わる時、会場と見る人に不思議な一体感が生まれる。
その瞬間、全くの非日常の異空間に飛び込む、いわゆるトリップするのだろう。
僕自身が直接の関係者だからかも知れないが、真夜中、この会場を訪れる事が出来たら、彼らの騒々しい程の喧騒に驚かされるに違いない。
明日は我が家恒例の茶会『光風の茶会』が開かれる。
沈壽官窯の友の会(年会費3000円也)の方々を対象に開かれる。
母の生前は『梅見の茶会』と称していたが梅の開花のタイミングが難しく、一時は『青葉の茶会』として五月に開催していた事もあった。
母が亡くなって中断していた茶会だったが、十年前に復活させた。
早い年は元旦の朝に梅の花が咲いていた時もあったが、今年は寒さが尋常でなく未だに梅一輪のみである。
明日のお客様は約100名、お手伝いの方々が15名、会社のスタッフが30名、計145名の期待を背負って立つのが、この一輪の紅梅である。
晴れがましいと言えばそうだし、負担が重すぎてかわいそうだと言えばそうだ。
親友の哲っちゃんは花には咲く間合いと散る気合いがあるのだと言っていたが、そうするとこの一輪の紅梅はまさに救世主だ。
明日はこの気合いの入った一輪の紅梅が主役だ。
日本橋三越で開催されていた『歴代沈壽官展』が閉場した。
僕は個展開催分、つまり前半の1週間で戻ってきたが、その後も大盛況だったようで、結局、総入場者数は45000人に迫ったとの事。
自分の力とは思わない。
『日曜美術館』、『朝日新聞社』、『三越』等に背中を押して頂いたのだ。
私は舞台の上で踊らせてもらった。
しかし、もう一つの力を忘れてはならない。
倉庫で古い二個のトランクを見つけたのが五年前。
和綴じの虫食いだらけのボロボロの幕末・明治の文書。
あまりの状態に一瞬、燃やしてしまおうと思ったくらいだ。
しかし、思い止まった。
先祖の墓参りもろくにしない僕だが、これらの文書をきちんと整理する事で自分なりの先祖供養にしよう、と考えたからだ。
表具屋さんに頼んで、洗い裏打ちした資料とにらめっこの夜が続く。
それはまさに薩摩焼黄金期を作った偉大な先人達との対話そのものだった。
今にして思うと全てはあの瞬間から始まったように思える。
それ以来、僕は何か見えない存在に此処まで連れてきてもらった気がするからだ。
あれらを洗い、裏打ちして読み返す決心をあの瞬間しなければ、この不思議なエネルギーと出会う事は無かったろう。
文書は実に多くの事を教えてくれる。
『文書の精』という奴が導いてくれる世界は新鮮なオドロキニに満ちている。
逆に今を生きる僕は心の葛藤や試練を後世に伝えるすべを持たない。
書き留める事の大切さをしみじみと識るのだ。
昨日の午後四時をもって個展は終了した。
懐かしい顔、初めてお会いする顔、多くの方々と触れ合った激動の1週間だった。
新館7階の『歴代沈壽官展』と掛け持ちだった分、かつて無い高ぶりと忙しさの中での毎日だった。
お陰様て無事に終える事が出来、スタッフのサポートに心から感謝している。
それにしても田舎者にとって、10日間近くの百貨店滞在はきつい。
まず、百貨店には窓が無い。
従って外の様子が全く分からないのだ。
常に人工の灯りの下で過ごすわけで、所謂、体内時計が機能しない。
加えて慣れないスーツに革靴履いて、ほとんど立ちっぱなしだ。
知られてはいないが、意外にタフな職場なのだ。
少しづつ、少しづつ披露は溜まっていく。
今、羽田で搭乗を待っている。
早く故郷の山々に会いたい。