十分屋

15代日記 | 2009年10月23日

177-1
京都高島屋での個展の挨拶回りで京都に来た。
大体挨拶回りというと一日15〜20件程回る。
玄関先で済ます場合もあれば、お宅に上がる事もある。
中には想像を絶するような素敵なお宅もあり、その材木の選択や部屋の造り、庭の素晴らしさは物を作る側の人間にとって本当に勉強になる。
そんな中、名刺が足りなくなってきた。
どうしよう…と焦ったが、担当の平井部長いわく『先生、十分屋いうのがありまっせ。聞いてみまひょか?』 つまりスピード印刷で名刺を作ってくれるところらしい。
『あ、良いですね。是非、お願いします』というわけで、十分屋に立ち寄った。
僕の理解では、パソコンにプリンターがあり、若いスタッフが元気に対応…と思いきや、出て来たのは一人の爺さん。
『あの、名刺を…』
『はいはい』
『…あの』
『できまっせ』 僕は名刺のサンプルを渡した。 ふと目をやると見たこともない機械。
磨きこんである。
『これ、なんすか?』 『印刷機だす。もう五十年つこてますけど、一遍も故障した事おへんのや』 驚いた。
印字を組んで、この機械で刷るのか…。

気をよくしたのか、爺さんは機械を動かしてくれた。
『ガシャン、ガシッ、』質量感溢れる音、見るものに感動を与える動きだ。
五十年というと、爺さんのキャリアは正にこの機械と共にあった事になる。
機械には『1850〜1960』と創業年が刻んである。

爺さんはこの1960に当時最新鋭のドイツ製印刷機を買い、二条木屋町に印刷所『十分屋』を開いたのだ。

パソコンもプリンターも無い代わりに、在るのは一徹な職人と一台の名機だった。
失われた日本の『ど根性』を京都の町外れに見つけた。
刷り上がった名刺は表裏、実に見事。 紙質も最上級でまるで薄い板の様だ。

ちなみに、値段も超一流で一枚百円!。
あれ程感動したのに、一枚配るたびに『百円』『百円』と心の中でつぶやく己の小ささを恨めしくおもう。

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音楽

15代日記 | 2009年10月23日

音楽は面白い。

僕は基本的に音楽大好き人間。

しかし特に詳しいわけではない。

何でも雑多且つ無節操に聴く。

僕の酒と同じ、雑多且つ無節操に何でも飲む。

ちょこっとかじったといえるのが、60年代、70年代のR&B位。

音楽が面白いと言ったのは、音楽が見る景色を変えてくれるところだ。

例えば車でナポリ・カンツォーネを聴きながら走ると、鹿児島の田舎の景色が南国の豊かな明るさに満ちてくる。

ボビー・コールドウェルを聴いて東シナ海を眺めていると、ハワイのオフショアのビーチとは言わないが、ウェストコーストな感じがして心が和む。

ジプシーキングを聴きながら桜島を見ていると、全身に力が湧いてきて、よし!生ビール飲むぞ!と誓う。

韓国の70年代フォークを聴きながら車を走らせると九州自動車道がまるで京釜高速道路(ソウル〜釜山)に見えてくるし、天文館でチョーヨンピルの歌が流れると、コムタンの香りを思い出し、大好きなソウルの裏町人情酒場にトリップする。
更に、そのお陰で大嫌いだった故郷、鹿児島の田舎臭さを少しずつ好きになれた。

好きな音楽は全て僕の旅の記憶とだぶる。

インド音楽もラングーンの市場で流れる流行歌もロシアの道端の弾き語りも…。

唯一R&B以外は。

何故なら僕はアメリカ南部を知らない。

世界29ヶ国を廻ったのに、一番行きたいテネシー州に行けてない。
一度で良いから、メンフィスの街を徘徊してみたい。

オーティス・レディングを生み出し、エルビス・プレスリーが育った街。メンフィス。

ゴールド・ワックス・レコードの跡地で、ジェームス・カーやオベイションズを偲んで、バーボンを呑みたい。

もしかしたら、その時は美空ひばりの『悲しい酒』を口ずさむかも知れないけど。

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個展終了日は青空

15代日記 | 2009年10月12日

175-1
個展も残すところ後一日。

沢山の方々に出会い、再会し、沢山の優しさを頂いた一週間だった。

本当に有り難うございました。

今、時代は混沌としてあたかも先行きは見えない。

でも、やりたい事とやるべき事は知ってるつもりだ。

悔いの残らぬように、落ち着いて前進したい。

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横浜から久々ブログ

15代日記 | 2009年10月9日

横浜高島屋で個展中です。
二日目に台風の手荒い祝福を受けた。
神奈川県ではトータル五回目の催事になる。

他県に比較して圧倒的な多さだ。

恐らく、これが済んだら神奈川県にお邪魔する機会はしばらく遠退く事だろう。
とにかく悔いの無い様にしなければ……、

実はこの街は僕の生まれた街でもある。
一般的に鹿児島出身と記しているが、実は横浜市戸塚区が、御生誕の地だ。

だから『ハマッ子』と言いたいが、三ヶ月しか居なかったらしいので、その資格は無い。
あまりにも御幼少の頃で全く記憶にないし、あるはずも無い。
戸塚の駅にも、一度も降りた事もなく、それどころか、戸塚と聞いて、あのスパルタ『戸塚ヨットスクール』を連想し、あのいかつい先生の風貌と重ね合わせ、逆に恐怖したものだ。
そう考えると、あの先生は戸塚区の住民達に、やや迷惑をかけたのかもしれん…(笑)。
こんな下らない事ばかり、書いているので、最近、初対面の方に『ブログ見てますよ』と言われると、それだけで悶絶し、逃げ出しそうになる。
自分でズボンを下げといて、『見てるよ』と言われて逃げ出すなんで、ある種の露出狂みたいで、つくづくアホだと思うのだが…。

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