訂正

15代日記 | 2009年9月27日

173-1
揺れるバンの中でメールしてたので『あ』がぶっ飛んでた(笑)。

それからもう一人、大事な人、忘れてました。

サンクトペテルブルグの川端総領事。

皆さんに改めて、
『スパシーバ!』

※ちなみに掲載写真はプーシキンの宮殿のアモルちゃん。東側の窓に在るので、朝日が眩しそうです。

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ダスビダーニャ(さよなら)

15代日記 | 2009年9月27日

172-1
朝七時。

空港までの車をエルミタージュのタチアナさんが手配してくれた。

ガタガタの大型のバン。

エルミタージュの車だ。

ロシアの運転手はとにかく運転が荒っぽい。

乗り合いバスもあんまり飛ばすし、揺れも半端じゃ無いので、一体何キロ出てるんだろう…と覗いたら、メーターの針が無かった(笑)。

ロシアを去るに当たり、お世話になった方々に感謝したい。

学芸員タチアナ・アラパバ、研究員アーニャ・エゴロワ、コーディネーター池上みどり、ピョートル大帝、後妻のエカテリーナ一世、長女のエリザベータ、その養子をクーデターで叩きだした嫁でドイツ女のエカテリーナ二世、その孫でナポレオンを破ったアレクサンドル一世、その弟の孫、アレクサンドル三世、その子のニコライ二世、……。

みんな!ありがとうございました。

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血の上の救世主教会†

15代日記 | 2009年9月27日

171-1
壁という壁、全てが輝くモザイク・タイルという高さ1センチ、幅2センチ程の小さな陶片でうめつくされている。

イスタンブールのブルーモスクも素晴らしいし、そもそも本来、モザイクと言えばイタリアのラベンナという街が有名である。

ラベンナはアドリア海に面した港街、長靴の形をしたイタリア半島の丁度、ふくらはぎの辺りになる。

故に、イタリアにも素晴らしいモザイク壁画は数多くある、が、そのいずれも比較にならない程、豪華である。

キリストの一生を描いているが、実に見事としか表現出来ない。

マチス(印象派の画家)がこの青に惚れ込んだのも解る。

本当にあの粗っぽいロシア人が造ったのか…?と驚いた。

やはり、イスラム教とキリスト教の二つの良いとこを併せ持っている様に感じる。

しかし、ふと思った。

このロシア人に日本の桂離宮とか、萩焼の大名物茶碗なんかを見せても、『なんだこれ?汚ねぇし、小せぇな…』位しか思わないかもしれない。

あの『侘び』『寂び』といった無常観の美意識は残念ながら、我々アジアだけの宝だ。

教会を一人出て、さっき450ルーブル払った場所に戻った。

ふと目をやると、何処かの国のカップルが、やはり金額を聞いて、エッ?という表情をみせていた。

それから一瞬顔を見合わせて互いの覚悟と腹の内を探っている…。

彼氏は明らかに『高ぇな…、止めようぜ』しかし彼女はさっさと財布を取り出した。

それを見た彼氏も慌て財布を出していた。

それを少し離れた場所から見ていて、あぁ、運命の分かれ道だけど、この男、彼女に付いて行った方が幸せが開けるな…って思った。(笑)

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血の上の救世主教会†

15代日記 | 2009年9月27日

170-1
『効き目無し八人衆教会』(カザン教会)の遥か向こうに気になる建物が見えていたので夕方立ち寄ってみた。
『血の上の救世主教会』

なんと!モスクワの赤の広場にもある、あの憧れの『玉ねぎ教会』だった!

名前と外観はえらく異なり、お菓子の家の様に華やかで可愛く…まさにファンタスティックだ!

アレクサンドル二世が暗殺された場所に建てられた教会だから『血の上の救世主教会』と呼ぶらしい。

昔、ソビエト連邦が鉄のカーテンで閉じられていた頃、モスクワからの中継のバックに映ってる色とりどりの『玉ねぎ』達に見惚れていた。

いかついイメージとあまりにかけ離れた『玉ねぎ』達の映像だったからだ。

最初はあれがクレムリンかと思った程で、スターリンを誤解していたな…と誤解した程だ(笑)。

あの玉ねぎはキャンドルの炎をデフォルメした物だと云われているらしいが、僕には『玉ねぎ』にしか見えない。

入ろうとしたら『効き目無し八人衆教会』と違い、オバサンが『金を払え』と言う。

『いくら?』と聞いたら150ルーブル(750円)と聞こえたので、払ったら、オバサンがエライ剣幕で何かしら言ってくる。

巻き舌の英語なので解りづらい。

450ルーブル(2250円)だと…?

我が沈寿官伝世品収蔵庫が大人300円、中学生以下はただなのに…。

ま、一万キロも飛んできたのだから悔やむより見ていこう、と入ってみて驚いた。
続く

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シンガー社

15代日記 | 2009年9月27日

169-1
地下鉄の前に立派なビルがある。
これはミシンのメーカーとして世界的なシンガー社が1900年代の初期に建てたものだそうだ。

当時としては最新のオフィスビルだったろう。
ただしシンガー社の不幸は、建てた直後にロシア革命が起きた事だ。

ロシア革命は正確には二回ある。

ブルジョア革命とプロレタリア革命だ。
最初の革命が1915年、次が1917年。
ロシアはそれ迄、大地主が伝統的に地方を支配していた。

領主は夏の間は支配地にいて、冬になると街に移り、毎晩贅を尽くした舞踏会に明け暮れた。

その間、農奴達は本当に貧しさと戦っていたのだ。
やがて、産業革命の結果、工場が出来ると農奴と地主という二極化の間に工場労働者と経営者という新しい土地に依らない階級が生まれた。

新興の経営者は土地は持たないが、金はある。

いつまでも貴族にデカイ顔させとく訳にいかない。

ロマノフ王朝に対する不満は充満していた。

そして、ついに一次革命は起きた。
しかし、被支配者である労働者や農奴にしてみれば、貴族が消え、替わりに新興の金持ちが取って代わったに過ぎなかったのだ。

不満は収まらない。

その頃、工場労働者であったレーニンはその弁舌で次第にその存在感を強めていった。

そして二年後、二次革命が起こる。

リーダーはレーニンである。

シンガー社の最新のオフィスビルは新しい支配者に奪われ、そして国旗すら変えた、新しいロシアになっても、未だに帰して貰ってない。

可哀想なシンガー社はロシア政府に返還を求め続けている。

一度、奪ったもの、手に入れた物は決して帰さない。

それが例えば砂一粒であったとしても。

ロシアのことわざに『わらの上の犬』という言葉があるそうだ。

犬はワラを食べない。

しかし、ワラを取ろうと近付くと、うなり声をあげて威嚇する。

僕たちの島々もなかなか帰ってきそうにない。

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訂正

15代日記 | 2009年9月26日

168-1
ニコライ二世の文中に島津忠義がニコライに『焼き飯』と書きましたが『焼物』の誤りです。
『ヘェ…そうか…島津公は明治24年にロシア皇太子に焼き飯とレバニラを……』とマジに思ってたアナタ!…かなり重症ですよ。

焼物です。

宜しくお願いします。

ちなみに安ホテル、グリフォンの近くには『唐人』と『ハルピン』の二軒の中華料理屋がありますが、美味いです。
掲載写真は昨夜9時頃、唐人の前辺りで写しました。
二軒とも焼き飯は、ご飯パサパサで米粒の形も日本の物とは異なる美味しくない本物です。

ロシア語のメニューが読めない為、しょっちゅう行ってます。

紹興酒が無く、ラストにウォッカを一杯飲みますが、身体が暖まり、頭は朦朧としてきます。

すると、すれ違うロシアの男達がイワン雷帝や怪僧ラスプーチン、ロシアン・マフィアやK―1ファイターに見えてきますから不思議です。

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オープニング

15代日記 | 2009年9月25日

167-1
無事に展示会は幕を開けた。
ピオトロフスキー館長の挨拶、関係者のテープカット、すごい人だった。
これから三ヶ月、いい展示会になる事を祈っている。

やれる事は全てやり、日程は全て消化した。

後は帰国して仲間と又相談だ。
ベスト・フィニッシュを決められたら良いな…。

会場で懐かしい顔を見た。
確か収蔵庫の番人、ベロニカだ。

三年前、僕は毎日エルミタージュの地下収蔵庫に薩摩焼の整理に行ってた。

印象派もミイラもじゅうたんも見ずに…。
その時、必ずこのベロニカの前を通る。

彼女の許可無くして決してそれ以上進めないのだ。
現在、79歳。
エルミタージュに勤めて何年になるんだろう…。
彼女の自慢は勲章だ。
サンクト・ペテルブルグがレニングラードと呼ばれた戦争中、この街はドイツ軍に包囲され、900日の間、市民と守備隊は耐えぬいたのだ。
やがてドイツ軍は三度目の冬将軍を前に遂に包囲を解き、退却。
その時からロシア軍の反転攻勢が始まったのだ。

その時、生き残ったレニングラード市民全員に勲章が贈られた。

ベロニカは言う『只の番人と思わないで。あたしの前で学芸員が話した事。あたしは全部憶えているわ』
あのドイツ軍の猛攻を900日耐えただけの事はある。

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ニコライ二世

15代日記 | 2009年9月25日

166-1
昨日、少し好いことがあったのは、もしかしてあの『効き目無し八人衆』が少し頑張ったお陰かもしれないと思い、隣の教会に立ち寄った。
又もや、ミサの最中。
日曜日以外でも毎日するようだ。
ロシア正教会は『歌う宗教』と言われるが、正にそうだ。
イタリアに二年間暮らしたが、こんな美しい讃美歌聞いたことない。
教会も実に豪華で日頃のうさを晴らしてくれる。
キリスト教とイスラム教の良いとこ集めたみたいな宗教だ。

さて、『効き目無し八人衆』にロウソクを…と思ったら、何とその内の一人、と言うかその内の一枚の絵はニコライ二世一家ではないか!

ニコライ二世はロマノフ王朝最期の皇帝であった。
ロシアがブルジョア革命、プロレタリア革命を経験し、ニコライ一家はシベリアに追放され、そして射殺された。
勿論、日露戦争敗戦のツケもある。
いずれにせよ、時代の趨勢の中で彼はその生涯を不幸な形で終えた。
今、時代は変わりロシア正教会も表立って活動できる。
その結果、歴代皇帝は聖人として祀られるが、ニコライ二世一家は殉教者として祀られている。
つまり、神になったのだ。
そして僕が今、この街に居るのは島津忠義がニコライ二世に友情の証として贈った沈家の焼き飯を借り受ける為に他ならない。
そうか『効き目無し八人衆』ではなくて、ニコライ二世一家七人だったんだ…、。
そこで持っていたロウソク八本を全部ニコライ一家にあげた。
これでよしよしだ。

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ペテルゴフ宮殿

15代日記 | 2009年9月25日

165-1
昨日の交渉は今回一番の成果だった。
一見容易そうに見えた物が、実は一番深い問題を抱えていたり、その反対に絶望的な状況が一瞬の事に、好転する事もある。
まさに昨日はそれだった。
しかし、慢心してはならない。
常に状況は動いている。
僕がこうしてブログを書いている間にも、何処かで何かが起き、それが全てを台無しにしてしまうかもしれないからだ。
結局、フィニッシュの瞬間にこそ全ての価値があり、その瞬間の為に、無限の瞬間を過ごす。
胸を撫で下ろしていると、予想外の事が、違う場所で起きるものだ。

さて本日掲載の教会は昨日、僕に成果を与えてくれた場所・ペテルゴフ宮殿の教会だ。
ピョートル大帝がベルサイユ宮殿に憧れて、そのベルサイユ宮殿を造った建築家本人(かなり高齢者)を招いて建造されたものだ。
ピョートルは自分で図面まで書き上げていたらしい。
さて、ここは別名『水の宮殿』とも呼ばれ、ポンプなど一切使わず、広大な邸内に無数の噴水を備えている。
この無駄に広く、無駄に平坦な大地でどうしてそれが可能なのか…、解らない。
先人の知恵に脱帽だ。
今日はいよいよ薩摩焼展のオープンであり、エルミタージュ美術館のピオトロフスキー館長と面会の日だ。
これが今回のミッションの最大のヤマだ。

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訂正

15代日記 | 2009年9月25日

『像』と書きましたが『象』の間違いでした。
鼻のすごく長い、耳のすごく大きな、髪の毛を伸ばしていない、『象』です。

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