大臣?

15代日記 | 2009年2月23日

 外交というのは実に難しい。
 我が国にも、以前は小村寿太郎、東郷茂徳等、素晴らしい外交官はいた。
 最近では、北朝鮮外交団の気合いみなぎる表情が印象的だ。
 動き、コメント、目の光、どれをとっても意味があり、その背中に国家を背負った男の覚悟を感じる。
 大嫌いな国だが、あの外交官の厳しさには目を見張ってしまうものだ。
 さて、世界に誇る我が日本の財務大臣が先日ローマでラリッてた。
 何度見ても見飽きない、永久保存版にしたいくらいの絵だった。
 「ありゃ、後で大分落ち込むんだろうな…」って思ったら、少し可哀想な気もしたが、それにしても、一体どうしちゃったんだろう?。
 
 知り合いの社長は睡眠薬の常用者だが、海外から帰国して睡眠薬が効いてるのに風邪薬を服用し、秘書の結婚式でスピーチしたところ、新婦の名前を最初から間違えたのにも気付かず、あわてて後で言い直したが、既に遅し…だったらしい。

 大臣に同情してか「あんなこともあるよ…」と言ってはいたが…。
 でも、僕には何度見ても、酔っ払いにしか見えないのだ(笑)
 酔うと、案外かわいい顔になるんですね。
 アホくさ!

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本田君

15代日記 | 2009年2月21日

 日曜日は茶会だった。
 『光風の茶会』である。
 名前の由来は『梅二月 光は風の中に在り』の句から。
 昔は二月第三日曜日、なかなか梅に花が付かずやきもきしたが、最近では暖冬で、逆に花が保たない事の方が心配である。
 この茶会はもう八回目になるが、お客様、スタッフ含めて百五十名程で行われる。
 名残の梅、絵付けやお弁当を楽しんだ。
 
 その夜は二年前の暮れに脳腫瘍で亡くなった本田紘輝君の遺作展の打ち合わせがあった。
 初めて彼の作品を見たのは、彼が八歳か九歳の頃だったと記憶している。
 KBCC(鹿児島情報ビジネス専門学校)主催のマルチアートコンテストで審査員をしての事だった。

 グランプリ受賞者の本田君の代わりにご両親の出席。
 何気なく「風邪でも?それとも怪我?」と尋ねたのが最初だった。
 「実は息子は集中治療室で…」
 
 彼は壮絶な闘病生活の傍ら、画家として多くの足跡を残した。
 その溢れる色彩と画面狭しと飛ぶ龍。
 全ての線と色に意味があり、全て彼の物だった。
 早すぎる死ではあったが、同時によく生きたとも言いたい。
 彼のメッセージは『負けてたまるか』だった。
 小さな身体に宿った悪性の腫瘍と戦ったのは彼の心だった。
 『負けてたまるか』と云う言葉に込められた彼の覚悟と、周りへの気遣いは、彼の精神的成熟を示す。
 僕は動かなくなった彼の黒目を見つめて『紘輝!頑張れ!』と言ったら、彼は黙ってコクリと頷いた。
 今、本田君は空に登ったが、会の後で、ご両親に彼のメッセージを見せてもらった。
 そこには『皿屋のおじちゃんは僕の友達』と書いてあった。
 優しい子だった。

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梅一輪、一輪程の温かさ

15代日記 | 2009年2月6日

121-1
 『梅一輪、一輪程の温かさ』
 庭の梅を植え替えた。
 以前、池の傍に白梅の臥竜の古木があった。
 有名な木だったが、皮一枚で生きているような状態だった。
 ある日樹木医と称する男達がやって来て、花の後の枝の剪定をするという。
 勿論信用した…。
 しかし結果、梅は枯れてしまったのだ。
 今はその理由が分かる。
 花の時期はまだ根が活動していない、つまり自らのボディに残る体力を振り絞り、花を咲かせてる。
 花を咲かせた後、花の後を三つ程残して、枝を短く切るのだ。
 これは目覚めた根に過剰な負担をかけないためと、実を減らす事で、梅の本体に花用のエネルギーを残すためだ。
 
 ところが、この樹木医達は花の付いた枝を全て切り落としてしまった為、新しい芽が吹かず、光合成が行われないため、根が水揚げをしなくなったのだ。
 木がもっと若く、体内に力を持っていたら、それでも芽吹きもあり、根も水を揚げるのだ。
 結果、僕は又一つ、先祖伝来の宝を失ってしまった。
 幸い、父がその梅を接ぎ木しておいてくれていた。
 先日、その梅を植え替えた。
 25†のクレーン車で吊り下げピンポイントで庭に降ろした、まさに豪と柔だ。
 
 新しい後継者は素晴らしく元気だ。僕は、その姿を見、更に出来上がっていく庭を見つめながら、生まれ変わったら絶対に庭師になろうと本心から思った。

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