韓国のマスコミ

15代日記 | 2008年10月31日

 昨日の朝は七時過ぎから韓国のウルサンMBCの取材が入ってた。
 『オンギ』と呼ばれる甕のドキュメントを撮っているのだ。
 取材範囲は韓国、日本、中国、ラオス、ベトナム、イギリス、アメリカに及ぶらしい。(このウォン安の中で大変だ…。)
 
 美山では八時から神社での窯元祭り成功祈願祭、十年前に韓国から持参した火、古い窯跡、作陶風景、甕・壺の歴史、串木野市の漂着地点など様々だった。
 
 ウルサンMBCは抑制が効いている。
 大概、韓国マスコミの撮影スタイルは、国民の意識高陽を狙う物が多い。
 如何に韓国人が世界的に優れているかを強調する。
 我が家の歴史はそのダシに使われるケースも多い(笑)。
 韓国マスコミは自身をエリートだと自負していると同時に、同じ韓国国民が劣等感を持っていると考えている様だ。
 しかし、僕にはそう見えない…。
 特に田舎に行くと、実に健やかな韓国人達を見つける事が出来る。
 正直で逞しく、働き者だ。
 ある村の韓国人青年が話してくれた。
 肥えた土地の草は根を張らない。痩せた土地の草は根を張る、と。
 そんな子供の様に純な人々に、根拠の薄い自信や過度の自尊心を植え付ける方が、他者との関わりの中で人々を歪めてしまうのでは…?と危惧する。(この言葉に政治的意図は無い)
 
 故に企画書にその手の鳴り物入りのフレーズが見えると取材は受けないようにしているのだ。
 歴代が頑張ってこれたのは別に手柄を狙うディレクターのお蔭じゃない(笑)。
 でもこうゆう考え方が狭量なのも又事実だ。
 難しい…。

 作家の司馬遼太郎氏は『民族とは文化の共有個体に過ぎず、血や種族ではない』と話された。
 確かに北海道の人々と沖縄の人々では共有する文化はかなり違う。
 当然だ。
 自然環境が全く違うのだから、ライフスタイルも全く異なる。
 結果、物の考え方や価値の置き方も変わってくる。
 しかし北海道から沖縄に嫁いだ女性はいつの間にか立派な『ウチナンチュー』になるのだ。
 
 そういえば…、ゼロって歌手いたな……。

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登り窯

15代日記 | 2008年10月30日

 一昨日から登り窯に火が入っていた。
 僕の出張中であった。
 十八歳から僕について窯を焚いてきた久保君(三十歳)と小学生の頃から窯を焚いてきた二人の息子(高ニと中三)達がやってくれていた。
 昨日昼過ぎに帰宅した僕も、ソッコー着替えて、そのまま合流。
 炎で焼けた笑顔で彼らは迎えてくれた。既に温度は千度だ。
 一昨日から学校を休んでいる息子達は、寝てない割りには元気そうだ。
 やはり若さ。
 窯焚きは今朝未明に終わった。
 そして二人ともウダウダと学校に行った。
 普段、勉強しろ!ズボン下げるな!と怒鳴っても無駄な二人だが、家の仕事だけは良く手伝ってくれる。
 しかも敬語を使う。
 面白い。

 窯焚きは経験だ。
 焚いた事の無い陶工にはその難しさと楽しさは絶対分からないだろう。
 しかも、陶芸教室ではなく、プロの窯でなければならない。
 
 十一月一日の午後一時に窯出しだ。

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金沢にて

15代日記 | 2008年10月29日

93-1
 昨日は金沢の香林坊大和百貨店で朝九時半から個展に向けて担当者への作品説明会を開いた。
 窓からは旧制四高(現・金沢大学)の庭が見える。
 戦災を逃れたお陰か町中に古き善きものが目白押し。
 人口四十万人とは言うが、鹿児島市の六十万人より遥に濃密だ。
 仕方ない。
 鹿児島は薩英戦争、桜島大爆発、太平洋戦争と、とにかく何度もめちゃくちゃにされている。
 島津が前田に負けた訳じゃない。
 篤姫の頃はさぞや美しい町だったろう。
 
 篤姫といえば、我が家の表座敷は藩政時代の御仮屋である。
 アメリカもこんなド田舎までは爆弾を落とさなかったらしく、今も二百年以上の貫禄をたたえている。
 
 御仮屋とは島津家の方々が江戸や京都に上られる時、お泊りになられた場所だ。
  
 だから、篤姫も当然泊まった事になるのだ。

 僕がこの表座敷でお客様と話す時、隣室を指差し『この部屋に篤姫も泊まられたのですよ…』と言うと、大概の男性は一瞬、畳を見つめながら、宮崎葵の寝乱れ姿を思い浮かべる様だ。
 その証拠に僕が『篤姫ですよ』と重ねて念を押すと、必ず、ハッと我に帰って照れ笑いをするのだ。
 
 まったく…。

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『雷鳥』の中で

15代日記 | 2008年10月27日

 新大阪から『雷鳥13号』で金沢へ向かっている。
 来月の6日から金沢の香林坊大和百貨店で個展を開くので、事前の挨拶や打合せに行くのだ。
 その昔、十四代が開催した土地だ。あの頃はバブルの絶頂期、株価は確か三万を超えていたっけ。
 今は…、世界同時金融恐慌の真っ只中。当然、結果に対しては予想も覚悟もしている。しかし、危機の中にあって、この高揚感は何だろう?
 工芸の国、金沢で開催出来る歓びか…、はたまた、幼い頃より台風が来ると異常に興奮するタチだが、この時代の逆風にも訳もなく興奮しているのもそのせいか…?。あるいは崖っ淵に追い詰められ、思考停止状態から『やけくそ』になっているのか(笑)。
 何れにせよ、与えられた場で最善を尽くすのみ!
 結果が出た時点で又考えれば良い。その繰り返し。
 テストでも恋愛でも予想や作戦が当たった事など一度も無いのだから。いつも想定外だった。
 今は、その前に登り窯を焚き、窯元祭り(11月1日〜3日)をクリアしなければ…。
 4日には再び戦場・金沢へ発つ。
 『雷鳥』は東海道線から山科、琵琶湖の畔を湖西線で駆け抜け、やがて進路を北陸本線に取り、僕を北の地へと運ぶだろう。
 
 薩摩の感性は果たして加賀の方々にどう受けとめられるのだろう…。
 やっぱり不安なんだ(笑)

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鶴瓶さん

15代日記 | 2008年10月26日

 NHK『鶴瓶の家族に乾杯』が放映された。
 27日も二部がある。
 疑う人もいると思うが、これは本当に突然。
 事前の打合せは全く無かった。
 僕は来月号の家庭画報の取材(お正月特集)の準備で忙殺されていた。
 そんな中で三州倶楽部の会合に間に合う様にお昼に家を出たのだが、入れ違いに鶴瓶さんが『トイレ貸して…』と来られたらしい。
 事務所からメールが入ったが最早仕方ない。
 幸い親父が店に居てくれて助かった。
 さすがの鶴瓶さんも十四代には参っただろう(笑)
 タレント性では決して引けを取らない。鶴瓶さんの土手っ腹に食らい付いて一時間半。
 後でNHKの亀山局長から電話があって、『沈さん家に行ったんだって?日置地区に入っのは知ってたけど…。いや〜申し訳ない(笑)』てな感じ。
 二部は後取材で僕と息子二人も登場する。請うご期待。
 女性の井上ディレクターから『スタジオの鶴瓶さんに、鹿児島弁で「又来てねぇ〜」って言って下さい』とのリクエストで『鶴瓶さん、又、おさいじゃったもんせ〜』がラストである。

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窯元祭り

15代日記 | 2008年10月25日

 11月1日、恒例の窯元祭りがやってくる。
 なんと二十三回目。
 よく続いたものだ。
 最初は誰も来なかった。
 祭りの賑わいを演出するために『たこ焼き屋』さんに来てもらったが、あまりの暇さにお昼で帰ってしまった(笑)。
 そのくせ、当時の先輩達は来場者数を五万人などと吹聴していた。
 今では出店数四十を超え、ゲリラ出店もありだ。875台収容の駐車場は午前中で満車。 その準備で3日連続の草刈りだった。
 初日は朝の六時半から役所の皆と窯元、二日目は集落皆で朝七時から、三日目は窯元と役所の担当と九時から連日の草刈り。
 この作業で村はすっかりきれいになる。
 豪華ではないが清潔だ。これが良い。
 この手の入った里山の情景が日本人の心を作る。

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奄美大島に来た

15代日記 | 2008年10月14日

89-1
 奄美大島に来た。
 十年ぶりだ。
 裏千家の鹿児島支部副支部長として、交流茶会に参加するために来たのだが、まだ、こっちの蝉達は元気一杯だ。
 ハイビスカスや先島芙蓉や松の枝で必死に鳴いている。ここでは11月迄鳴くらしい(笑)。
 『いもーれ』とは『いらっしゃい』の意味だと『道の島交通』のバスガイドが教えてくれた。
  
 海は澄んで綺麗だ。島の人は自分が子供の頃はもっと美しかったと言い、『きょら島』と呼ぶ。
 山は紅葉も落葉もしない、一年中常緑の椎の木と松と亜熱帯植物で覆われている。
 孤高の画家、田中一村は『鬼へゴや 椎の木よりも 丈高し』と詠んだ。
 この森に多くの神々とハブがいる。『波布』と書いてハブと呼ぶ。大島紬の柄はこのハブをヒントにしたらしいが、この辺りに『しまんちゅ』の逞しさを感じる。
 友人の岡田氏は奄美の旅でハブを恐れるあまり、道の真ん中に野糞をしたらしい。
 昭和二十八年まで米軍の支配であったこの島の奥深さは一度で説明出来ない。
 海の民の香りが半端じゃなく濃く、呪術的でもあり、神秘的だ。
 鹿児島とは又、全く別の世界だ。

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紅葉

15代日記 | 2008年10月8日

 寒い朝だ。
 これが『紅葉』をぐっと深める。
 葉緑素は寒いと壊れてしまうらしいが、葉っぱは死なない。
 だからいろんな隠れていた色達が葉っぱの中から出てくる。
 まるで海底三十メートルの『青の世界』にライトを当てると急に様々な色が出現するように。
 
 又、今年も鮮やかな彩りが渓谷や高原を飾るのだろう。
 
 紅葉も赤一色とか黄色一色では美しくない。
 赤、緑、黄色、茶等が濃淡を成し、混在してこそ美しいのだ。
 人も同じなのに、少し個性が立つと『吉本興業』の若手芸人や裏サイトの卑怯者君達にたちまちやり玉に挙げられる。
 いやな世界だ。
 一般的に紅葉というのは『もみじ』とも読む。
 ところが以前、京都でタクシーに乗ったら運転手に「お客さん、あれは『もみじる』と云うのが正しいんです。」言われた。
 つまり『もみじ』と云う植物は無く、あれは楓(かえで)なのだと。
 楓や他の広葉樹が紅葉するのを昔の人は『もみじる』と言ったらしい。
 真偽は分からないが、何せ相手は京都人。文化担当だ
 「へぇーっ」と聞いていた。
 確かに歌にも『秋を彩る楓や蔦は…』となっている。
 成る程。
 つまり、これからは「この銀杏、綺麗にもみじりましたね」とか「今年の柿のもみじり方は見事ですなぁ」と言わねばならないのだ。
  
 こうして又、立派な秋がやって来る。
 株式がどうなろうと、絶対に地球には勝てない。

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久しぶり。

15代日記 | 2008年10月7日

 原稿が多く、ブログ書くエネルギー無くしてました(笑)。
 もう飽きて止めたのか…と思われた様で、それも又気楽になれます。
 さて、あれよあれよという間に、株価は転げ落ちる様に急落。
 原因は『サブプライム』と云う名のいわゆる『事故米』。
 色々な物に混ぜて世界中の金融機関に売られたらしい。更に、買った連中も、更に他の物と混ぜて又売ったと言う。
 だから裾野は広い。しかも、元の事故米の量が日々増え続けてるらしく、ゴールが見えないのだ。
 
 元々無かった物が、元々在った物を壊す。
 良かれと思い考え出し、ついでに、スーパーコンピュータで高い金かけて、高度なリスク計算を繰り返し、絶対安心と思った同じ側に世界の切れ者全員が立っていたらしい。 
 これじゃ、リスク管理にならない(笑)。
 
 しかし、嘆いても無力だ。
 
 昔、バブルの頃があった。そして壊れた。
 例えると、店の向こうでシャンパン抜いて、ママもホステスも一緒になって散々騒いでた連中が、飲み代を踏み倒して逃げた。その後、こっちでチビチビ焼酎飲んでる客達に、ママが申し訳なさそうに『店が潰れるから皆で助けて』とお願いされた様なものだ。
 店はそこしか無いから泣く泣く払った。
 確か店名は『スナック日本』だった。
 
 僕達、物を造っている人間達には本当に分からない仕事だ。
 いずれにせよ、今後、奇策は無い。
 ハチマキ締めて働いて、又、焼酎飲むのだ。

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