終戦

15代日記 | 2008年8月29日

 夏の間、ブログの頻度が低いのは理由があるのか…?と尋ねられた。
 オリンピックの熱気に当てられたのか?
 そうではない。
 『8月15日』は盆と云うより終戦の日なのだ。
 以前、人間魚雷『回天』と云うのをを見た。
 中に入ると蓋をされ、ボルトで固定される。
 つまりこの段階で殺された事と同じだ。
 鹿児島の知覧では、粗末な装備と旧式の機体に弾薬を抱え、有人ミサイルとして死んでいった未熟な少年飛行兵の純忠を説かれる。
 僕の母方の伯父からニューギニア戦線の体験談を聞いたことがある。 うづくまり、家族の写真を見ていた戦友の目には既にウジ虫がわいていたそうだ。
 
 優秀で純粋な若者達に人殺しを命じ、ついにはあんな死なせ方をさせた、当時の大人達の反省の声は未だに聞いたことが無い。
 そしてあの死は『散華』なのだという。
 
 八月、毎年僕はやり場のない気持ちになる。

ページの先頭へ

虻(あぶ)

15代日記 | 2008年8月24日

 虻(あぶ)と云う虫をご存知か…?
 目玉が艶消しの緑色、身体は茶色に透明な羽で人を刺す。
 形状は戦闘機ほどは格好良くはないが、練習機ぐらいの格好良さはある。
 清潔感は無い。蜂の様なホバリングも無理だろう。
 血を吸うのだろうか…?良く分からないが、刺された跡が腫れて痛がゆい。
 夏に学校で写生に行ったとき、牛を描いてたら、虻が沢山牛にとまってた。
 牛は残念ながら手が無いので、尻尾を振りながら追っ払ってたが、みんな虻の痛がゆさを知っているので、牛に同情していた。(具体的に何かをしてあげた訳ではないが…)

 小学生の夏休み、母の故郷、福島県の磐城に行った。
 当時、母の姉、つまり伯母は町外れの田舎で雑貨屋をしていた。
 『何でも好きなお菓子取って食べていいよ…』、と言われて、狂喜した僕は五十円もする、かぶと虫型の容器に入ったチョコをゲットした。
 僕一人だったのであの欲深い妹達を気にする必要もなかった。(妹達がいたら僕は三十円であいつらは二十円だったろう…)
 しかし、面白いのは手に入れた瞬間、つまらなくなってしまった事である。
 中身は食べて、ケースは妹達への土産にした。
 妹思いの兄だ…。
 その近くに夏井川と云うのが流れていて、岩のゴロゴロした、同時に水量のある立派な川だ。冬には白鳥も飛来するらしい。
 ある日、一人でここに泳ぎに行った時に事件は起きた。
 虻の波状攻撃にさらされたのだ。
 潜り、顔をあげると刺され、又潜り、顔をあげると刺される。この繰り返しが延々と続いた。
 虻にはテリトリーがあるらしく、一匹潰しても、直ぐに新しい奴がそのテリトリーに入ってくる。
 鹿児島の川にはこんなに虻はいない。
 まるで鹿児島からの転校生が東北の子達にしつこく苛められているようだった。
 ついに、半ベソをかきながら伯母の家に帰った僕の顔はパンパンに腫れあがり、伯母にペニシリン軟膏を塗ってもらったが、そのまま熱を出して寝込んでしまった。
 
 今、夏になると我が家の工房の白壁の下には多くの虻の死骸がある。
 高速で壁に頭から激突した結果だ。
 あいつらは、白い色を識別出来ないようだ…。
 
 僕はこの白壁が僕の福島での被害を知っていて、仕返しをしてくれているようで好きだ。
 これこそが妖怪『ぬりかべ』君に違いない。

ページの先頭へ

『盆』が終わった

15代日記 | 2008年8月16日

 鹿児島の伝統行事の中には様々なものがあるが、とりわけ仮面を用いたものが数多くあり面白い。
 この盆の間も様々なお祭りがあったが、とりわけ凄いのがトカラ列島、悪石島の『ボゼ』だ。
 目も耳も口も巨大。
 何でも見える、何でも聞こえる、何でも喰らう恐怖の『神』だ。
 盆の最終日、全身を草木で包んだ異様な巨体を揺すり、『ボゼ』は墓場から現れ、亜熱帯の森林を抜け、叫びながら人の暮らす里に飛び出してくる。
 子供達はそのザワザワとした姿を見ただけで恐ろしくなり泣き出す。
 僕も少年の頃、『ボゼ』の白黒写真を見ただけで、生涯絶対に南の島には行くまいと誓ったものだ。
 『ボゼ』は手に赤い泥を付けたペニス形の木の棒を持ち、人々を叩いて回る。

 まるで、トカラ列島版『プレデター』だ。
 
 『盆』と云う死者の支配する仏教の世界に対して、神の支配する日常の日々に人々を連れ戻す為に現れ、人々を叩くのだ。
 手にした棒は生産のシンボルである。

 黒潮に洗われる絶海の孤島で、このように仏教と神道が奇妙に共存している。
 まさに『海の民』と『陸の民』との責めぎあいの末の落とし処だろう。
 
 古来、薩摩は海洋民族が支配していた。いわゆる『海幸彦』の国だ。
 これに対して農耕の技術を持った渡来人達が北部九州から下ってくる。『山幸彦』である。
 両者は葛藤の末、結局『山幸彦』が潮の玉を手にして、海陸いずれをも支配下に置き、今の天皇家のルーツを創るのである。
 この様に天孫降臨の日向信仰が日本書紀へと繋がっていく。
 未だに残るこの国の始原的ストーリーを破れた南の国の仮面神達が不気味に語る。
 
 薄っぺらい現代の生活の遥か奥底に、実に不思議な記憶が存在するのだ。
 そして、彼らは今もじっとこちらを見ている。

ページの先頭へ

立秋

15代日記 | 2008年8月10日

76-1
 『立秋』。
 不思議だ。
 熱波が消え、空気の感じが秋の気配に変わった様に感じる。
 佐賀には『盆北』と云う言葉があるらしい。
 盆が近づくと北風が吹くと云う意味だ。
 我が家でも夕方、庭の木に水を撒いていると、『つくつくぼうし』の鳴き声が聞こえてくる。
 この声を聞くと、子供の頃、夏休みの宿題に焦り始めたものだ。
 
 虫達は目に見えない季節の訪れをキチンと知っている。
 そして僕達は彼等の変化に季節を思う。
 アホだ、アホだと言ってきたが、やや申し訳ない気持ちになってきた。
  
 大体、蝉達は土の中に7年もいるらしい。
 そして人生のラスト1週間だけを羽根のある、飛べる生き物として生きる。
 その僅かな間に恋して、愛して、子孫を残す。
 それまでの7年間何やってんだ?とも言いたいが…。
 実に不思議な生き物だ。
 7年もの暗い土中生活に報いるために、神様が夢の様な1週間をお与えになったのだろうか…。
 トンボも水中生活を経るが、所詮1シーズンだ。
 人間なんて何十年生きても、絶対ハネなんか生えない。
 ハゲにはなるが……。
 
 そもそも7年も生きる虫なんて聞いた事無い……、
 もしかしたら蝉って偉大な存在かもしれない…?
 
 これまで大変な失礼をしていたかも知れません!
 『蝉君』『蝉様』…。
 
 しかし、あいつらが一体全体、何の役に立っている生き物なのかは、やはりいくら考えても分からない。
 親分であるバルタン星人の命を受け、地球侵略の日をじっと待っているのかもしれない。

ページの先頭へ

呼子

15代日記 | 2008年8月9日

75-1
 佐賀県の呼子に行った。
 『よぶこ』と読む。
 美しい入江の小さな港町の地名の由来は解らない。
 港に並ぶ旅館を見て、宿場につきものの色町を連想し、それで「呼ぶ子」かな…などと、勝手に考えてみた。
 
 昔から多くの漁師が移り住んで来たらしい。
 僕には瀬戸内から豊後水道、博多湾から長崎、天草、五島、壱岐、対馬が何故か一体に思えてならない。
 つまり『漁師』と云う名の塩飽の海賊と倭寇が繋がって見えるのだ……。
 税関も入官も海上保安庁も無かった時代の多国籍パイレーツ達の躍動を想像してみたら面白い。
 
 そのせいか、この町は『烏賊』が有名である。
 
 聞くところに拠ると、イカは人間の体温でも火傷してしまうらしく、良い漁師は釣れたイカを手で触れずに、生け簀に入れるそうだ。
 食べる寸前に初めて料理人が触れるのだ。
 
 原油高騰でイカ漁を休むなんてニュースもあったが、早稲田の先輩、太田氏が経営する『萬坊』(0955 82 4888)がついている。
 透き通ったイカをお刺身で頂いた。
 絶品!。
 
 さて呼子には『次世代リーダー養成塾』の講師として行ったのだが、この次世代のリーダーと云うネーミングがいかにも恐ろしげだ。
 このメンバーには、早めに挨拶をしておかないと将来マズいかも知れない…と云う警戒心を抱いてしまう。
 
 しかし、彼らは成績順に選ばれた、『ガリ勉君』達ではなく、生徒会役員ばかりの『人格君』達でもなかった。
 全国から集まった普通以上に素直で真面目な高校生の社会学習だと理解してくれたらいい。
 彼ら170人を二週間、共同生活をさせながら、社会人を講師に呼んで、共にディスカッションするのだ。
 ただし、社会人講師と言っても、タイのタクシン元首相やインドネシアのマハティール元首相、明石康氏等、半端じゃなく豪華だ。
 不肖、十五代沈寿官は、何故かその末端の末端に加えて頂いた。
 有り難い事です。 
 高校生を前にして、何を話せば良いのか…。
 居並ぶ一流講師に負けまいと、得意の薩摩焼きの話を一時間半延々としようかと思ったが、それは事務局にやんわりと断られた……。
 
 慌てて、日本のトップ企業の社長が出した本を買い求めたりしたが、所詮、付け焼き刃、生兵法は怪我の元と知った。
 そこで腹を据えて考えてみたのだが、『素直さ』や『真面目さ』は確かに大切な才能である。が、それを生かすのは、やはり『怒り』ではないかと思った。
 ベースに戦うハート、『怒り』が無いと、感謝も尊敬も労りも、気付きも絶望も本来の効果を持たないのではないだろうか…。
 つまり『激しい情』や『熱い感性が』様々な触媒によって姿を変え、それによって得た感情に、深みと自己増殖を与えるのではないか…、そしてそれは、学習で得るものではなく、自分で造り、仕立て上げていくものだろう。
 ましてや、青春期は社会の歪みや自己の矛盾と葛藤するものだ。それが無い人はやはり浅い。
 …なんて思いながら講演に突入した。
 結果は分からない。
 ただ彼らはとても優しく、好奇心に溢れた人々である。
 彼らの拍手と質問攻めを素直に喜びたい。
 窓越しに佐賀のやはりアホな蝉達の大声援を受けながら頑張った。
 
 近い将来彼らはどんな大人になるんだろう…。
 
 我が家のラグビーばかりで何も学習しない高校生の日焼けした黒い顔が浮かんだ。

ページの先頭へ

真夏の窯

15代日記 | 2008年8月2日

 天気予報はずっと晴れマーク。
 たまに日中少し降ると、草むらからムワ〜ッと湯気の様な感じで、土の蒸れた濃厚な匂いが立ち上る。
 直ぐに蒸発してしまうのだ。
   
 こんな時期に南の島々に行こうとする人間がいる…。
 真夏の太陽ならそこら辺に棄てる程あるのだが…。
 
 『暑い』と云えば、真夏の登り窯は地獄だ。
 以前、別府温泉の地獄巡りに行った時、売店のオバチャン達が胸に『毎日が地獄です』と書かれたTシャツを着ていたが(笑)、こちらも窯の時ばかりは負けていられない。
 なにせ『暑い』ではなく『熱い』のだ。
 1300度の熱は爪の隙間から火傷、汁を出してくる。
 まつ毛は焼けてなくなる。
 
 ご存知だろうか?
 真夏の夜中は殆んど風が吹かない。
 真っ暗な闇の中、二三人で窯を炊く。
 初めは馬鹿話しているが、二日目の夜になると話題も尽き、必要な相談しかしなくなる。
 深夜のラジオは、いつの間にか日本語の放送が途切れがちになり、遂には、中国語か韓国語に変わってる。
 たまに日本語だ!と思うと、北の平壌放送だったりして、思わず埼玉県の李さんのお便りを聞いてしまう事もある。
 
  風もなく、音もない。薪のジャーっと云う、中華鍋で野菜を炒めるような音は真夏の夜には似付かわしくない。
 
 真夏に南の島々に行く人に、ここでも充分、灼熱を味わえる事を伝えたい。
 多分、誰も来ないだろうが…。

ページの先頭へ

今季の詩

15代日記 | 2008年8月1日

『ある日のうた』
 
 朝は朝顔 耳につけ 海の音など きいてます
 昼は昼顔 口につけ あなたの名前 呼んでます
 夜は夕顔 遠めがね 流れ星など 見ています

 きえてゆくのか かげろうか
 はなのむこうの 阿頼耶識(アラヤシキ) うしろすがたで わらいつつ
 あなたはさって ゆくのです

 
 朝は朝なぎ 渚には ゆうべの嵐の おきみやげ
 昼は昼なぎ まどろめば 夢でもあなた 笑ってる
 夜は夜なぎ かがみなぎ 片割れ月が 海わたる

 
 いまじんせいの どのあたり わたしははしって いるのだろう
 ただやどかりが よろよろと こくびかしげて あるくのです
詩 岡田哲也

ページの先頭へ