陶佳と優佳

15代日記 | 2008年7月31日

72-1
 夏休みで妹が双子の娘達(小2)を連れて帰ってきた。
 この双子、我が親戚の中でも、最年少である。
 妹は母が亡くなった年に身籠った。
 子供に恵まれなかった妹は母の生まれ変わりだと、とても喜んだのを憶えている。
 故に、他の従兄弟達から無条件に可愛がられる。
 特に我が親戚は男の子が圧倒的に多いから、二人はアイドルだ。
 
 スクスクと育った無邪気さと云うのはこうゆう物だろうか…、気持ちが本当に癒される。
 胸の中の、外向きに固く凝った物が溶けていって、キューンとするくらいだ(笑)。
 
 残念ながら、自分の子供にはこうはなれない。
 
 自分の子供には、自分の隠したい自分がしっかりと受け継がれているからだ。
 そして、何かあると、そればかりが目に付いてしまう。 
 「あっ!これ、又俺だ…」
 
 とにかく、自分で自分を見ている様で、落ち着かないし、時には目を覆いたくなる。
 その点、兄弟の子供達は無条件で見れるものだ。

 そして今日、妹は双子を連れて東京に帰って行った。 「伯父ちゃま、お世話になりました」
 散らかった部屋のキャンディーの包紙やゲームソフト、飲みかけのジュースがあの子達の痕跡だ。
 
 
 そう言えば妹は娘達に自分の事を『お母様』と呼ばせていた!。
 
 僕は子供の頃、妹が頬っぺたを真っ赤にして、いつも鼻を垂らしていたのを知ってる。 セーターの袖を鼻水でゴワゴワにしながら、いつも僕に付いてきた。 だから僕はいつも浅いドブに落としてやったものだ。 
 すると妹は必ず大泣きした。
 しかし、毎日ドブに落とされるのを知りながらも、付いてきた。
  そんな人物が『お母様』とは…。
 だから双子ちゃんには妹の事を『母ちゃん』と呼ぶように指導したのだが、それを知った妹は、裏でこまめに矯正していた。
 その結果、残念ながら『東京の電車の中で「母ちゃん!」と呼ばせる作戦』は失敗した。
 
 アホな蝉の耳鳴りの様なわめき声に乗って、妹の高笑いが聞こえてきた様な気がする。

ページの先頭へ

鹿児島大炎上

15代日記 | 2008年7月28日

71-1
 昨日は朝七時から集落の一斉清掃だった。
 各家庭、それぞれ鎌や熊手、刈り払い機、ホウキを手に集合し、公民館長の指示で散っていく。
 晴天の朝。
 ウグイスの鳴き声を聞きながら始まった草刈りも、たちまち吹き出す汗でびっしょり。
 加えて、あのアホの蝉達の大合唱が始まると、否が上にも暑気を増す。
 一時間余りの草刈りで表通りは大分さっぱりした。
 次に秋の窯元祭りの駐車場予定地清掃、六月灯の準備、夏祭り庭の草刈り…と、全て完了したのが十時。(さすがに人海戦術)
 この時間になると、もう『炎天下』と言うより『大炎上』である。
 木陰で頂く、村の仲良くクラブのバァちゃん達が朝市で売る漬物の差し入れと、冷たい麦茶がご褒美だった。
 冷たい麦茶を飲みながら、夏祭りの打ち合わせ。
 これが、我が村が他の集落に誇る『田舎力』である。
 行政に頼らない。『協働共生』、これこそが元気な村を創る信条である。
 
 そして、帰って冷たいシャワーを浴び、今度は『協働共生』ではなく、こっそり冷やしてあった、スイカを一人だけで食べる僕であった。

ページの先頭へ

スピード社

15代日記 | 2008年7月24日

70-1
 風呂に入ろうとしたら、風呂の縁に濡れた海パン。
 それとゴーグルにスイミング・キャップ。
 海パンのサイズから、どうやら次男がフル装備で風呂で泳いだらしい。
 我が家の風呂は膝を曲げて肩まで入る、日本標準サイズのお風呂である。
 
 良く見るとスイミング・キャップにスピード社のロゴ。
 記録ラッシュのスピード社製の水着、レーザー・レーザーは買えないが、せめてスイミング・キャップで噂の存在を味わおうとしたのだろう。
 大体、あいつの小遣いで買える筈無いし、買ったところで、中学の授業で着用出来る筈も意味も無い。
 しかし、気持ちはよく解る。
 更に、押さえきれない衝動から、風呂に飛び込んでしまったのだろう。
 こんな田舎にもスピード社の偽物が早くも売られている事は素晴らしい。
 パッチ物とは知らない次男に聞いてみた。
 『スピード社、どうだった?』
 『あぁ、やっぱ、凄いよ』
 僕は風呂に潜って、パッチ物のスピード社に感動してる次男の方が凄いと思った。

ページの先頭へ

東京、と云えば

15代日記 | 2008年7月24日

 実は『東京』は八年間に及ぶ青春時代を過ごした街である。
 つまり、高校生活三年、大学生活四年、の計八年である。…。
 
 故郷の東市来中学校を卒業し、未だ鹿児島弁しか話せなかった僕が伊集院の駅からB寝台に乗り込んだ。
 二十五時間揺られての初めの上京の車中、隣の子連れのオバサンに寝台の位置を上の段に代わって欲しいと頼まれて、代わってあげたのは良いが、天井の通風口に腹を冷やされ、東京に着いて初めて行ったのが、東京駅のトイレだった…。
 広い東京駅の構内でトイレを捜しながら、ある意味、東京のデカさを泣きそうになりながら知った。
 
 僕の受けた高校は早実だったが、入試面接で「一番近い駅に急行は停まりますか?」と、訳の解らない事を聞かれ、四キロ離れた東市来駅を思い出し「いいえ!」と答えたら、面接の教官に何故か大笑いされた。
 
 その時のムッとする感じ…解るかなぁ…。
 
 その後、合格したので、あのデリカシーの無い教師は、どの教師だったか、その後の為に確認を試みた。
 しかし普段の生活でネクタイ姿のサラリーマンを見たことが無かった僕には、容疑者が多すぎて『ホシ』の特定にはついに至らなかった。
 迷宮入りだ。
  
 東京の生活は、学校に近い新宿区若松町の賄い付き四畳半下宿だった。
 毎日、三杯目にはそっと出した…積もりではあったが、下宿のオバサンはどう思ったか知らない。
 
 日曜の夜は近所のガキを集めて花火をした。
 今頃、あいつら立派になってるかもなぁ…、。
 
 近くの居酒屋の兄さんは「お腹空いたら何時でもおいで!」って言ってくれた。
 事実、僕は毎日行った……。
 風呂屋の番台の若松小町はすましていたが、オバチャンはシャンプーいつも只でくれたし、その風呂屋で知り合った肉屋のカズは、僕が動物性タンパクに飢えているのを知り、親父に頼んで、『すき焼き』をご馳走してくれた。
 親友の奥田の母ちゃんは時々、せがれに弁当二つ持たせて、一つは僕にくれた。
 
 食べ物の話題ばかりだが、人間、人に育てられると言う。
 僕の場合も、見知らぬ、名も無い人達に、腹も心も大きくして貰ったのだ。
 東京の片隅で。

ページの先頭へ

東京

15代日記 | 2008年7月21日

 今月の15日から二週間、日本橋三越六階で品物を並べさせて頂いていて、それで上京した。(土日だけ)
 
 大都会『東京』 何度来ても圧倒的なコンクリートの巨大集積地だ。 都心に至ってはナチュラルな物は皆無と言って良い…。
 一体、この町にあるコンクリートの総量を考えると、山幾つ分だろう…?
 それほどの量をコツコツと積み上げて来た、人々のエネルギーを何と形容しよう…。
 
 何故、そんな視点で見たのか…と云うと、実は先日、福岡で開催された「日本コンクリート学会」で、何故か講演する機会があり、その講演の準備の中で素人ながら少しコンクリートについて学んでみたのだ。
 石灰石を焼く事でセメントが出来る。(だから焼き物と同じ『窯業』なのだと知った)
 人体に例えると、セメントは『脂肪』の様な物で、素地を緊密にする。砂利は『骨』だ。全体を支える。そして砂が『筋肉』として骨と脂肪をきっちり繋ぐのである。
 
 そして、どんな仕事もそうだが、例え『レシピ』は同じでも、心を込めてやった仕事とそうでないものは違う。
 その違いがコンクリート構造物の場合、時として人生や生命に関わってくる。
 …バランスを欠いたシャブコン、不完全な洗浄の海砂、手抜き工事…等。
 これらの不心得な仕事はコンクリート巨大集積地にこっそり紛れ込み、何食わぬ顔で平然と立っているのだ。
 そして何かが起きた時、使い手が初めて知る仕事の優劣。
 
 
 美濃の斎藤道三が若き織田信長に娘を嫁がせる時、信長から贈られた漆の調度品を深くえぐったと聞く。
 一体何層の漆を塗り込んであるのか…、信長の心底を計ったのだ。
 その幾重にも塗られた漆職人の仕事の誠実さに感じ入った『美濃の蝮』は、娘を信長に嫁がす事を許したと云う。

 僕らの世界にも『盛り金』と云う技法がある。
 純金を幾重にも塗り、厚みをつける技法であるが、高価な純金を惜しむ者は、盛り絵具と云うものを一旦塗り、焼き付けた後、金で表面を覆う。
 そして何食わぬ顔で言うのだ。「薩摩の『盛り金』でございます」 
 しかし、時の経過は必ず、その実体を顕らかにする。
 かように、見た目だけの仕事と云うものは、身近に転がっている。
 だからこそ、何であれ、純な仕事や純な人に出会えた時、芯からホッとするんだろう。
 東京にも純な人や仕事は確かにある。
 いや、もしかすると田舎者より、日々の戦いの中で、己を堅持している都会の人の方が、遥かに純なのかも知れない。
 久しぶりに上京した薩摩原人の僕に、わざわざ時間を割いて会いに来て下さった方々。
 固いコンクリートと優しい微笑みの織り成すコントラストが、思い出されてならない。
 夜明け前の今頃になって有り難く染みている。
 
 やっぱり味は冷えるとき染みるものだなぁ…などとボンヤリ思った。

ページの先頭へ

暑中お見舞い。

15代日記 | 2008年7月17日

67-1
 梅雨が明けたら…とにかく暑い。
 『太陽がいっぱい』と云う映画があったが、鹿児島のこの光線の量は何だ。
 遠慮無しと云うのはまさにこれだろう。
 こんな時は思い切りクールなマイナスイオンを浴び、吸引することだ。
 北国ならいくらもあるであろう、クールスポット。
 南国鹿児島にもオススメのポイントはある。
 その中で姶良町の『布引の滝』(ぬのびきのたき)はどうだろう。 吉野台地から流れ落ちる幅2メートルの滝は白い布の様な爆布を描き20メートルを落下している。
 大きな滝ではないが、清潔で、ごく至近距離から見れるし、霧状になった水は冷たくてとても気持ち良い。
 誰も来ない滝までは木製の遊歩道があるので、アホな蝉達の大合唱を聞きながら、サンダルでも大丈夫。
 是非、この夏、一服の涼を求めに行ってみては?
 
 こんな良い場所を見つけると、とても嬉しいものだ。
 車で休みの日に当てもなく走り、普段なら絶対行かない脇道に入り、突然、可愛い見知らぬ村に出くわした時は『千と千尋』ではないが、夢の様だ。
 いい仕事と同じで、丹念にコツコツ積み重ねて作られた景色は実にいいものだ。
 そんな事の積み重ねが故郷を想う心を作ってくれると思う。
 三十年前、東京から夕方、新幹線に乗り、博多から臨時急行『かいもん』で深夜帰省する学生の頃、八代を過ぎる頃は乗客もまばらになり、床に塗られたグリスの香りと故郷に帰る連中の飲んだビールやイカの匂いも薄れ、その夜の闇の中で見た故郷は実に寂しく、哀れだった。
 故郷に帰る高揚感も無く、ただただ虚しいだけだったのを記憶している。
 今は違う。
 風が吹けば手を合わせ、雨が降れば手を合わす。
 人間変われば変わるもんだ(笑)
 何故か中島みゆきの『ホームにて』を想いだした。

ページの先頭へ

閑話休題 チャーチル

15代日記 | 2008年7月9日

66-1
 チャーチル君の事を知りたい方へ。
 彼は幼い頃『モデル犬』であったのです。
 いかがですか? 永谷圓の景品みたいでしょう。

ページの先頭へ

臨時ニュース

15代日記 | 2008年7月8日

 ついに蝉が鳴きました。
 
 もう、うるさい位です。
 「みんな!少し静かにしなさい!」と、何度も注意しましたが、少しも耳を貸そうとしません…。
 無視されました…。
 
 そこで本日、ここに正式に鹿児島地方の『本当の梅雨明け』を宣言します!。

 鹿児島地方気象台  沈 寿官

ページの先頭へ

備前焼

15代日記 | 2008年7月6日

 備前焼には薩摩焼とは全く異なる魅力がある。
 技術者が長い時間をかけ、作為的に作り込んでいく仕事とは違う。
 無釉の灰白色の土が焼かれると、それだけで様々な表情を見せるのだ。
 窯の炎を映す土の鏡の様だ。
 『サンギリ』『胡麻』『緋だすき』…。
 この炎と土の醸し出す豊かな表情が、同業の我々をも魅了する。
 六古窯の一つであり、その歴史は千年を誇る。

 そう言えば、焼き物の事など何も知らなかった小学生低学年の頃、姉と地元百貨店『山形屋』で備前焼を見た事がある。
 初めて見た時の衝撃は忘れない。
 薄い茶色のボディに鮮やかな緋色の線。
 感激だった。
 炎を閉じ込めた様で、その作品の前から動けなくなった。
 どうやって焼くんだろう? 
 姉に頼んでその秘密を聞いてもらった。
 「ワラを巻いて焼くんだって」姉は僕にそう言った。
 
 当時、お風呂を沸かすのは僕の仕事だった。
 こっそり白薩摩の二級品湯呑を工場から持ち出し、ワラをぐるぐると巻き付け、風呂の焚き口にそっと入れた。
 暫らく見ていたが、ワラはそのまま燃えてしまった。
 何度繰り返しても結果は同じ。姉にも、他に何か言ってなかったか確認したが、無駄だった。
 色が着くどころか、何も変わらない。ワラが燃えるだけだ。
 
 「やっぱり、嘘だったんだ。専門家の大人が子供に本当の事を教えてくれる筈がない。大体、ワラを巻いて色が付くはずが無いよ。」(注:ワラを巻くのは本当である。ただ、生地が生の時に巻かねばならない。)
 そう思うと、騙された淋しさと、薩摩焼の息子のくせに、備前焼に惹かれた事が、あたかも裏切りの様で、その後、僕の秘密になった。
 と同時に、大人だと思っていた四つ上の姉も子供扱いされていたのだ、と思うと、姉が何だか可哀想で、姉にも実験の結果は報せられなかった。
 
 姉はすんなり忘れてしまった様だが、それ以来、備前焼は僕のタブーになったのである。
 本当は大好きなんだろう。

ページの先頭へ

梅雨明け?

15代日記 | 2008年7月4日

 奄美大島が沖縄に次いで、ついに梅雨明け宣言!。
 今日、四国も梅雨明け宣言をした。
 なぜ知っているか?と言うと、地元焼物組合の研修で岡山の備前に来ているからである。
 確かに、瀬戸内は大雨の予報に反して二日続いての夏日快晴である。
 すると気象台は今度は、追認するように、急きょ『梅雨明け宣言』をした。
 しかし、しかし、未だ瀬戸内でも蝉は鳴いていないのだ。
 昨日からずーっと備前の山の中で耳を澄ましている。しかし、やはり聞こえない。(虫の音は聞こえるが…)
 
 僕は認めない! 蝉が鳴かないと梅雨は絶対に明けないのだ。
 気象台は判断を早まった事を必ずや、悔やむ事だろう。
 ふふふ…。

ページの先頭へ