少年時代

15代日記 | 2008年6月30日

 チャーチル君の人気が高まっているが、チャーチル続編の前に僕を刺したスズメ蜂の思い出を書いておきたい。
 中学時代、近所の連中を引き連れての下校途中、一人が「スズメ蜂の巣があのヤブの中にあるんだよ」と指差した。
 確かに数匹の大型のスズメ蜂が道路脇の草むらの土手に舞っている。
 草むらの中の灌木に巣を作っているらしい。
 こんな場所にスズメ蜂の巣がある?。
 『危ないな…』、そう感じた僕は、止せば良いのに「よし!皆、あの穴に向かって石投げろ!」…。
 五〜六人で一斉に投石が始まった。
 するとどうだ。
 次第に草むら付近が慌ただしくなってくる。
 蜂達がその数をどんどん増してきたのだ。
 それに伴ってこちらもエキサイト、投石に拍車がかかる。
 
 やがて羽音がこちら迄聞こえてくる程の数の蜂が戦闘態勢に入った。
 そして遂にスズメ蜂達の逆襲が始まった。
 大きく投網を広げるように、大空に展開した編隊は、次の瞬間一気に我々に向かって急降下して来たのだ。
 正確で見事な集中攻撃、まるで真珠湾攻撃だ。
 「逃げろ!」
 走りだしながらそう叫んだ。
 僕のすぐ耳元に、蜂のあの羽音が聞こえてきた。
 そこからは、まるでスローモーションだ。
 走りながら右腕を耳元に擦り付けると、頬で『グシャッ』と蜂の潰れる感触。
 「よし!一匹やった!」
 走りながら、そう思った次の瞬間、右足太股の裏にとんでもない激痛が走った。
 「しまった!」その刹那の正直な感想だ。
 走りを止めた。 後悔の嵐だ。
  我が家迄三百メートルの地点。
 顔をしかめて歩きだした。
 太股裏が焼けるように痛い。
 早く何とかしなければ…、しかし走ると毒の回りを早める気がした。
 ようやく家に辿り着くと、もう右足太股は丸太の様な腫れようだ。
 幸いな事に、丁度、婆ちゃんが畑から戻って来た。
 「スズメ蜂に刺された」
 そう聞くと婆ちゃんは慌てて、僕を寝かし、傷口に口を当て、毒を吸い出し始めた。
 痛いほど何度も何度も。
 僕は毒が未だ傷口付近にあることを祈った。
 その後、一片のアロエの葉を割いて傷口に当ててくれた。
 ようやく騒ぎを知ってやって来た母が病院に運んでくれたのだが、先生が「バァちゃんに感謝しろ。処置が悪ければ、お前の足を切り落とす所だったぞ。」
 太股から切り落とすなんて…。
 今思えば、立派な手術設備も無い、夫婦でやってる田舎の病院だが、僕はその言葉を信じた。
 昔の医者は大概、そうやって悪ガキを諫めたものだ。
 でも正直バァちゃんには感謝した。後々、友達に自慢したぐらいだ。

 一日休んで翌日、学校に行く途中、現場の前を通った。
 スズメ蜂はやはり居た。
 しかし日毎にその数を減らしていった。
 
 もしかして僕らの攻撃が巣に甚大な被害を与え、そして女王を倒したのだろうか…。
 だとしたら、これは名誉の負傷だ。
 
 それにしても、あの蜂の大群に包囲されて逃げる時、刺されたのは僕だけだった…。
 もっと幼い、遅い連中も居たのに…。
 スズメ蜂の攻撃部隊は初めから、首謀者の僕だけを狙っていたのだろうか…。
 前を逃げて行く子の弱い後ろ姿を思い出した。
 あの子達の首や頭が刺されていたら…と今考えると、本当に恐ろしい。
 学校で学んだ事は実に少ないが、学校の回りでは実に多くの事を学んだ。
 
 僕は以前、『養蜂家』になりたいと書いたが、一つ付け加えよう。
 
 僕は『スズメ蜂ハンター』になりたい。

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『チャーチル』

15代日記 | 2008年6月25日

61-1
 父十四代の愛犬、ブルドッグの『チャーチル』君である。
 この犬は、牡牛と戦う為だけにイギリスで生み出されたのだそうだ。
 どの状況で犬が牛と戦うのか、その理由を含めて僕には理解しにくいが、とにかく、人間のわがままを満たすためだけに、交配を重ねて生まれたらしい。
 ダブダブの皮膚は噛まれても相手の牙が肉まで届かない。
 さらに食らい付いた後、その状態で呼吸が出来るように、鼻の位置が口より後ろに下がっている。
 顎は強く、噛み付いたが最後、雷が鳴っても絶対離さない。まるでスッポンだ。
 その結果、こんな顔になってしまったのだ…。
 
 親父はそんな色々な意味での責任を取らせるべく、彼に『チャーチル』と名付けた…。
 
 親父がお客様と店に居る間、チャーチル君は我が家の車庫で留守番?をしてもらっている。
 かといって、人が来て吠える訳でもなく、ただじっとしている。
 更に人が近づくと頭をなぜて貰おうと立ち上がり、お尻を振りながら、太いウインナーの様な身体を寄せてくる。
 
 こいつは番犬としては全く失格である。
 気が弱く、運動が嫌い。しかも暑がりの寒がりだ。
 
 僕はブルドッグと云う奴は、犬の中でも戦いに関しては最強のランクに位置すると思っていた。
 
 ただ、親父の実に善きパートナーではある。
 毎朝、親父を起こし、具合が悪いと、その哀愁に満ちた瞳で見つめる。
 凹んでいても、このユーモラスな姿はかなりの癒しになるであろう。
 しかも、もしかしたら、強いんじゃないか?主人を守るため、猛然と戦ってくれるのでは?と云う淡い期待も捨てきれないらしいのだ。

 僕には全くそうは見えないが……。

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サバイバル・シーン

15代日記 | 2008年6月23日

60-1
 工場の外壁で見つけたサバイバル・シーンだ。
 蜘蛛(くも)がガッチリとその顎で蝿(ハエ)を捕らえ、捕らえた態勢のまま、じっと動かない。
 毒液を注入して相手の抵抗を押さえ込んでいるのだ。
 
 二匹合わせて1cmに満たない世界であるが、その意味するところは凄い。
 何といっても、自分より一回りデカイ相手を餌にしようとする、その旺盛な食欲に野生を感じさせる。  僕らの傍らでこんな凄いドラマが日常的に起きているのだ。

 今迄見た最高のサバイバル・シーンはカマキリVSスズメ蜂である。
 茶畑の上で♀カマキリは堂々たる鎌を振り上げ威嚇する。
 スズメ蜂はあの不気味な低音の羽音をうならせながら、攻撃の機会を伺う。
 中学時代スズメ蜂に刺された僕が至近距離で見つめているが、一切目もくれない。
 
 捕食者同士のこんなタイトルマッチ、ガチンコ・スペクタクル見たことない。
 ティラノザウルス対アロザウルスの対決に匹敵する。
 
 仕事なんてしてる場合じゃないぞ。
 凝視している僕の前で戦いの火蓋は切って落とされた。
 
 先手、スズメ蜂の攻撃開始。
 にらみ合いの末、一瞬の隙を突いて、カマキリの背後を取るや否や、後ろから、鎌の付け根の関節に噛み付いた。
 必死に抵抗するカマキリの攻撃に耐え、もう片方の鎌もついに関節から噛み切ってしまった。
 こうなるとカマキリは実に無力である。
 勝負有り!
 しかしスズメ蜂は油断しない。
 最後の武器であるカマキリの顎を無力化するため、頭の付け根、つまり首も背後から噛み落としたのである。
 
 戦いは知力に勝ったスズメ蜂の圧勝に終わった。
 やがて胴体を掴み、浮上を試みたが重くて失敗。
 すると、更に胴体の解体に取り掛かったのだ。
 ようやく、一部を掴み浮上すると、巣に向かって飛び立った。
 当然僕も後を追ったが、雑木林の遥か奥へと消えていった。
 
 通りかかった近所のオジサンが笑顔で『毎日忙しいでしょう』と声をかけてくれた…。
 『アッ、…ハァ……はい。』

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雉が…

15代日記 | 2008年6月21日

59-1
 雨の中、茶畑の脇の側道を車で走っていたら、岩の上に何故が雄の雉がいた。
 降りしきる雨の中、身じろぎ一つもしない。
 車を寄せ、窓を開けシャッターを切る、が、一向に動じる気配も無く、遥か彼方の一点を見つめている。
 置物かと思うほどだ。
 すると首を一瞬傾げた。
 赤い頬が印象的だ。
 
 なんだ?こいつは…。
 ずぶ濡れになりながら、一体何の物思いに耽っているのか…、家で嫌な事でもあって、拗ねて出てきてしまったのか…、はたまた、来ない彼女を想って、今日も待ち続けているのか…。
 
 「お前、風邪引くぞ!」声を掛けた。
 動かない。
 まぁ、こいつにはこいつの事情があるんだろう。
 
 『動じない』と言えば、以前、ロシアのサンクトぺテルブルグに行った時、ガイドから聞いた話しだ。
 
 アフガニスタンからの帰還兵を雇用したそうだ。死線を越えて来た男だけに、さすがに腹が座っていて、何があっても動じない。
 しかし、会社に遅刻してきても、全く動じない為に、結局はクビにしたそうだ。

 僕は急に雉の横顔がアフガニスタンからのロシア帰還兵の横顔に見えてきた。

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粋麗会で講義

15代日記 | 2008年6月18日

 粋麗会(すいれい)とは、鹿児島を代表する夜の繁華街『天文館』の活性化の為に、と結成されたママさん達の有志の集まりである。
 県外のお客様にあれこれ質問される機会も多いらしく、自己啓発も兼ねて、改めて地元の色々を勉強しようと云う事らしい。
 実に真面目な集まりである。
 
 今回は地元の特産品でもある『薩摩焼』について一通りの解説を、と依頼された。
 
 会場に到着すると、普段、一部屋に一人しか居ない筈のママさんが、一部屋に数十人居るのである。
 もはやそこは、僕にとって完全未知の空間であった。
 この独特の『濃さ』を理解ってもらえるだろうか?
 そして、いざ始まると壇上の僕は、もう殆ど『いじめられっ子』に近い感じになる。
 
 それもその筈。
 目の前に笑顔で座っている女性達は『人間対人間』、その中で、相手の本質を見抜く事を身上とする仕事師達である。
 そして常に不測の事態に生きている。
 『肩書き』と『お約束』で生きてる人間とは全く別のオーラの持ち主達なのだ。
 
 予想通り、大量の汗をかきながらの解説となった。 
 『攻守所を代えて』なんてもんじゃ無い。
 もう、焦れば焦る程、汗が出てくる(だから『あせる』?駄洒落か?)。
 
 しかも、どうやらテレビでも流された様で、知り合いから、「あの汗は空調が原因なのか、それともママさん達に興奮したのか?」と聞かれ、曖昧な返事をすると、スケベ呼ばわりされる始末。
 会場には、演壇から、向かって左側にママさん達、右側にはバーテンダーの方や、観光関係のおじ様達が居並んだ。
 
 大量の発汗を伴いながらも、不肖私の目線は終始徹底的に左側だけであった……。
 
 まぁ当然か…。

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未だ梅雨

15代日記 | 2008年6月17日

57-1
 とにかく雨。
 しかも、これだけ毎日雨なのに、今年は何故が涼しい。これが例年と違う点だ。
 土地が冷えている気がして妙に不気味だ。東北のあの巨大地震ともつながっているのだろうか…。
 そして、雨が続くと、あの忌まわしい8・6水害を思い出す。
 東シナ海で、次々と雨雲が産まれ、結果、1ヶ月近くも雨が止まず、県内各地で未曾有の犠牲者を出したあの歴史的水害だ。
 鹿児島に暮らす人々は皆が少なからずPTSDにかかっているはず。
 
 早く、セミ達の大合唱を聞きたいものだ。
 
 友人の娘は少女時代、俊足でならした、心身共に体育会系の人だ。
 8・6水害の時、たまたま鹿児島市内中心部にいた。
 増水した川の水は道路を覆い、避難が遅れた人々が胸まで濁流に浸かりながら、安全な場所を求めている。
 そんな時、濁流の中に立ちすくむ一人の老婆の姿が彼女の目に止まった。
 迷う事無く、救出に向かった彼女は、老婆を背負い、流れる濁流の中を、鍛え上げた下半身を踏ん張りながら、ようやく安全な場所まで運び終えた。
 決死の救出劇である。
 感謝の言葉を繰り返した老婆は、やがて服の奥のポケットから財布を取り出した。
 てっきりお礼を渡されるものと察した友人の娘は、しきりに『いえ、結構ですから…』と繰り返し遠慮していた。
 しかし老婆は、財布の中身が無事である事を確認し終えると『あぁ、良かった』と言い、再び財布をしまい込んだのだ。
 …娘は黙ってしまったらしい。

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梅雨『仕事場の窓から』

15代日記 | 2008年6月12日

56-1
 毎日、雨。
 朝の微睡みの中で、今朝も雨音が聞こえてくる。
 あぁ…、今日も雨か…。
 
 鹿児島では『人が死ななきゃ 梅雨は明けない』と云う言葉を耳にする。
 聞き様によっては不謹慎な話だ。 その一人が自分の家族だったらどうするんだろう?
 しかし、そうゆう柔な視点で自然を見ない。
 田舎者一流の逞しさとデリカシーの無さを感じる。
 だがこれは、それは自分かも知れない、と云う戒めの言葉でもあるのだ。
 だとしたら、行き場の無い、クソ度胸の座った田舎者の台詞なのかもしれない。 
 
 梅雨が明ける瞬間は好きだ。
 そんな瞬間があるのか…?と思うだろう。
 
 ある日、雨が上がり、お日様がカッとさした瞬間に、一斉に蝉が鳴きだす。
 これが僕流の『梅雨明け宣言』だ。
 気象台が何と言っても、その後、大雨が降っても、一向に構わない。 もうそれは、僕にとって違う雨なのだ。
 
 大体、この国はほぼ一年中雨が降ってるのだから。
 『菜たね梅雨』、桜が咲くと『春の嵐』、梅雨明けしたら、『台風』、『秋の長雨』…『氷雨』。
 だから基本的には、どこで切っても構わない。(まるで僕の文章と同じだ)
 
 それにしても『桜の開花宣言』だとか、『梅雨入り宣言』だとか、何故一々お上に決めてもらわなきゃならないのか…と思ってる。
 咲たきゃ咲くし、散りたきゃ散る。それが自然と云うもの。
 しかも、それがずれたら、役所に電話してクレーム付ける馬鹿までいるらしい(笑)。

 どこかで誰かに加工、着色された『情報』と云う名の『エサ』を食べ慣れると、こうなるのだ。

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山の松

15代日記 | 2008年6月10日

55-1
 正門が完成したので、庭師に邸内の剪定をしてもらいました。
 この時期は雨が多く、植物が一斉に成長します。しかし同時に、風通しが悪く、病気も発生するのです。
 例年 梅雨明け(七月初旬)に伸び切った枝を剪定するのが普通です。
 しかし、切断と云う大きなダメージを木に与えた後、今度はさっぱり雨が降らない真夏日が延々と来ます。それでは木々は癒しの時が無いのではないでしょうか?
 更に、光合成しても体内に十分な水分を保有していない古い木(特に梅)は、地下からの吸い上げも出来ず、やがては負担を軽くするため、自らの葉っぱを落とす場合があります。
 その内、台風が来て、その老い木に潮風を叩きつけながら、前後左右に揺するのです。
 まさに、踏んだり蹴ったり。
 そこで、今年は、敢えて元気な成長前期に剪定し、風通しを良くしながら、来るべき乾期に備えようかと考えました。
 素人ながら僕の唯一の趣味らしいのが、この『庭木いじり』です。
 生まれ変わったら、庭師か養蜂家になって、何万匹の蜜蜂と花を追って暮らしたいと思う事があります。(その話をロクロ場の松井にしたら、俺は神に生まれ変わって、好き放題したい、と言ってました。それは悪魔だと思いますが…)
 庭師は剪定だけなので、工場の皆と草取りもしました。
 
 今日は六十五才で逝った母の九回目の命日。喜んでくれたらいいんですが…。
 母が亡くなって数年は思い出すと哀しくて、涙で車の運転も出来ない程でした。
 不思議ですね。
 生前はあんなに心配かけることばかりしてたのに…(笑)。
 そんな昨日、知り合いの土建屋さんが「松を買わないか」と電話くれました。
 久しぶりに見る、素性の良い、油の乗った大きな山の松でした。
 松食い虫にやられずに、未だこんな松があったのか…と感慨無量でした。
 現在、鹿児島県には松の製材所は一軒もありません。
 仕方なく台風で倒れた海岸の松をチップにする前に入手していました。
 ただ、人間と同じで、苦労して成長している為に、中は捻りがキツくて、薪にするのに難儀なのです。

 それだけに一報貰って有難い事でした。
 やはり松は新しい方が良いですね。

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還暦ランナー

15代日記 | 2008年6月8日

 鹿児島に帰っていると、ブログの更新がなかなか進まない。
 県外の方から、どうした?ブログ更新しろ!と叱られるが、何を話題にしたら良いか分からないのだ。
 日々は窯場仕事と野暮用に負われ、過ぎていく。仕事が有れば、それに忙殺され、無ければ仕事探しに忙殺される。この繰り返し…だと思い込んでいた。
 しかし暮らしの中のささやかな事に何かを見いだすことは大事な事だ。 
 そう言えば、昨日、我が家に来られた東京書籍の大薗さんの事。
 六十歳の節目に何かをしようと思い立ち、勤務先の福岡から鹿児島迄走って帰って来られたとの事。
 その様子は南日本新聞でも紹介されたらしい。
 これまでずっと会社に寄りかかって生きてきた。だからこそ、最後は自分の力だけで何かを遣り遂げたかったとの事。
 一日に三十キロ走り続けることは並みではない。
 彼は普通の焼酎好きのオジサンだ。照れ臭そうに話す、その人柄に又、一人ヒーローを見つけた気がした。
 組織の中で、心を潰されなかったタフな人。
 大薗さんはどんな第二の人生プランをお持ちなのだろう。
 楽しみにしたい。

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正門完成!

15代日記 | 2008年6月8日

53-1
 ついに完成した。
 『安堵』と『不安』。
 一日に何度も見に行ってしまう。
 新木と古材とを見分けにくくする為に、全体に再度防腐剤を塗り、その上を濃茶で塗装した。(ファウンデーションだ)
 未だ、強く触ると手に茶色い色が付き、木の新しい香りがする。
 新しく立派な姿…、以前より大きく見える。
 古材も若く力強い仲間に支えられ、安心してか本来の貫禄を見せている。
 
 しかし、古いものを直す時に、いつも思い出す苦い思い出がある。
 
 今から、二十年近く前に、登り窯の、三番の部屋の炉壁が大きく裂け、天井が徐々に落ちてきた。もう、これ以上は使えない、寿命だった。
 新たに築炉する代替のスペースも近くに無い。更に業者に尋ねたら、その部分だけの修復は不可能であった。
 どうすべきか…。
 当時の僕の感覚は『古くても大きくても所詮、道具は道具。使えて初めて命を持つ』といった、一見もっともらしい見識。
 結局、一番下から傷んだ部分迄を破壊し、その後は残しながら、壊した場所に新たに築炉することにした。(廃レンガは邸内の土手に貼りつけた)
 何となく、我が家の権威の象徴の様な登り窯を、単なる道具扱いすることで、セコい征服欲を一瞬満たしたかったのか…、半端な職人根性の為せる術か…。
 いずれにせよ当時は何の未練も無かった。
 大きな木槌を下から打ち上げ、窯の天井はたちどころに破壊された。
 その刹那!、後戻り出来ない程の後悔の念が胸をよぎった。
 何故こんな酷い事をしたのか…、長年の労に報いる方法は他に無かったのか…、代替地を真剣に探し、やはり、そこに新しい窯を築炉すべきでは無かったか?
 今でも心から悔やまれる一件である。
 功利性を説けば、一応の筋は通る。しかし、立派な産業遺産でもあったはずだ。
 物にも人にも命の物語がある。
 そして物言わぬ者に心を通わせる時は、人の側が働きかけなければならない。
 人の心の、その情緒が物に語らしめるのだ。それを持ち得なかった僕は、頭でっかちの嫌な奴だった。
 親父は黙っていたが、内心、そんな息子に唾棄していたかもしれない。 
 登り窯は僕に破壊される事で、身を以て、その事を教えてくれたとすれば、その十字架を僕は永遠に背負わねばならないだろう。
 古い木が枯れる。古い建物が傷む。
 『家を継ぐ』『家を護る』と言うことは、焼き物を焼くことだけじゃ無いのだ。

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