米子駅

15代日記 | 2008年5月21日

40-1
 今日は百貨店に一日お暇を頂いて、三徳山投入堂に行ってみよう。
 
 米子駅でスーパーまつかぜ6号を待っていると、ホームにキオスク。その名も『妖怪ワールド、ねずみ男売店』とある。
 ついに妖怪勢力は、境港から米子にまでその勢力を伸ばして来つつあるらしい。この調子で行くと、鳥取の落城は最早、時間の問題であろう。
 更に入り口には血だらけの書体で、『地酒妖怪人形壺入あります』とある。どこで切って読めば良いのか分からず、やや意味不ではある。しかし幼い頃、父親に連れていってもらった、鹿児島中央公園の見世物小屋に似た安っぽい怪しさ(これが恐いのだ)に惹かれて足を踏み入れた。
 …誰もいない。おいおい、この演出は超憎いな…と内心、ここで本当にねずみ男のコスチュームで出て来られたらきっと僕俺は倒れるだろうなぁ…なんて思っていたら、奥から普通のオジサンが出て来た。
 「ねずみ男の格好はしてないんですか?」と尋ねると、ムッとした表情で「まさか、そんな事はいたしません!」と私の無礼を詰る感じ。マズイ。そこでお詫びのつもりで話題を変え、「冷たい飲み物はありますか?」と聞いたら、今度は打って変わってニッコリ笑って、「冷たい飲み物は外の自販機ですよ。」…。
 さすがの切り替えに、これをもって『ねずみ男売店か…。』うーん。 さすがである。

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個展開始

15代日記 | 2008年5月20日

 個展始まりました。
 最初のお客様は老医師の中尾先生。戦時中、韓国の大邱(たいきゅう)医専(現:慶北医大)で学ばれた経験を持つ。当時一学年は日本人50名、韓国人50名で机を並べたとの事で、今でも続く友情について嬉しそうに語っておられた。
 両国の話になると、互いの差異と優劣、正邪ばかりを声高に開陳する人が多い中、共通点や類似性については見過ごされがちである。
 以前、作家の司馬遼太郎氏がこんな話をしている。
『強く日本人でありたいと願うことだ。その上で、朝鮮、中国の心が解る人でなければならない。真の愛国はそこから生まれる』と。
 久しぶりに良い日本人に会えた気がした。
 
 ところで大邱には我が沈家一族の元締めと云うか、親分が住んでいる。大学の学長も勤め、新羅の碑文の研究にかけては第一人者である。『酒を飲むなら朝まで呑め!勉強するなら三日部屋から出てくるな!』という、コテコテの韓国根性を体現したような爺さんだが、ある時僕に向かって『松と男は古い方が良い。』と言った。すると傍らにいた奥さんが『あんたは若い時はそんな事は言わなかった』と一言。
 爺さんは黙ってしまった。…(笑)

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分水嶺

15代日記 | 2008年5月19日

38-1
 『たんだ峠』と言うらしい。
 岡山と鳥取をつなぐ峠であり、高梁川水系と日野川水系の分水嶺である。進行方向とは逆に流れていた川が、今度は進行方向に流れている。そうか、この峠で高梁川と日野川は生まれたのだ。兄弟は同じ場所で産まれたのに、一人は瀬戸内に向かい、もう一人は日本海へと向かったのだ。どちらが長男かは不明であるが、分水嶺を超えてからの距離は日本海の方が遥かに近い。これは、中国山地が日本海側に切り立っていることを示す。
 うーん…。前回よりかなり落ち着いているぞ。やはり二度目だな。
 改めて車窓から景色を眺めてみると、野生の藤はまだちらほら見えるが、前回より緑が力強くなっているし全体的に固い感じがする。悪く言えば、可愛げがなくなった、いや大人になったと言うべきだろうか…。変わらないのは、特急『やくも』の間延びした警笛だけだ。しかし、これも実にビミョーである。夜に聞くと哀調を帯び、昼に聞くと実に牧歌的である。朝はどう聞こえるのだろう?
 きっと世の中には汽笛の音色をコレクションしている暇人…じゃない、研究者がいるに違いない。

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明日は米子

15代日記 | 2008年5月18日

 明日は再び米子である。
 今朝は七時から次男の通う東市来中学校の草払い奉仕作業だった。やはり、親子で汗を流すのは良いものだ。普段、すれ違い気味なので、こうゆう機会に存在感を挽回しておく必要がある。
 中学校から戻り十一時から市来郷ライオンズクラブの三十周年式典に。神主と漁師の友人から絶対に来いと言われていたので参加。一度帰宅して仕事してたら、土建屋で消防仲間から行方不明者が出たから、捜索の手伝いに来い…と。創作を止めて捜索…?に出た。幸い、無事発見。(死亡の場合はただ発見と言う)
 再び工場に戻り、仕事場の掃除をした。明日から米子だから綺麗にしておく。  
 ラジオから指宿の砂蒸温泉の話題。そう言えば、あの砂を掛けてくれるオバサン達は砂かけ婆…とは言わないっすね…。いきなり、水木しげるロードか(笑)。
 頭ピカピカの目玉親父、みんなが持って行こうとするから あんなに光っちゃって。
 そうこうしてるうちに家具屋の友達が焼酎飲もう、飲もうって。
 酒が好きです、とは言わないが、これまで酒に誘われて断った事は一度もないですね。(o^o^o)

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池修理

15代日記 | 2008年5月18日

 正門に続いて、今度は表の庭に昔からある池の修理である。随分前から、毎朝、池を見ると水位が下がっている。多い日は10センチ位。以前二回修理した。修理すると暫らくは良いのだが 、結果は、やはりダメ。業者を変えて今回は三回目である。
 池はかなり古い。周囲は石積み。目地と床は赤土と石灰を混ぜたもの。昔、池の泥をしゅんせつした後、池の底に塗った物と同じだ。恐らく、我が家の前の交通量が増えたからだろう。特に大型車が疾走すると、家が揺れる。その繰り返しの中で、目地から漏れているんだろう。場所を特定して、今度こそきちんと修理したいものです。
 それにしても家を継いでから、修理ばかりしてる気がする。
 薩摩守修理太夫だな…、等とつぶやいている。

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正門大改修

15代日記 | 2008年5月15日

 我が家の正門は江戸時代からの古く立派な門である。私が建てた訳ではないので、客観的にそう自慢できる。薩摩の武家門の中でもかなり大型の方であると思う。
 ある時、鹿児島市内で飲んで、代行運転で戻るとき、運転手に道を説明したら「あぁ、あのお寺ですね。」と言われ、ついに、生臭坊主にされてしまった事がある。 
 そんな門が、ここ数年、徐々に傾いてきた。後ろに反り、更に斜めに傾いでいる。何というか、四次元的に傾いてきたのだ。
 瓦が落ちてお客様に怪我があったら大変だ。更に台風で倒壊したら超縁起が悪い、それどころか、再生可能な部材まで使えなくなってしまう。しかし手を入れたら、風雪に耐えてきた古老の風情は失われてしまうだろう。悩んだ。しかし、人であれ、物であれ形あるものは、いつか必ず滅びる。あのレオナルドの壁画だって、今の技術と材料で復元するのだ。これは再生工事なのだ、と心に決めた。そこで今年の年頭に目標を決めた時、その筆頭に正門修理とした。
 まずは先立つものが必要だ。当然仕事頑張る。そして、いよいよ、ゴールデンウィーク明けに解体が始まった。
 解体してみて驚いた。見えない部位がボロボロに腐っている。特に水が掛かる足下のほうは酷く、ほとんど空洞化していた。しかも全身に打たれた釘。度重なる改修の中で大工に恵まれなかったのだろう。まるでイエスの様だ。良くここまで持ちこたえたものだと、驚きと感謝と尊敬の思いがこみあげてくる。
 結果的に期待していた程古い部材で再生可能なものはなかった。しかし、それでも生き残った。これから若く、たくましい者供と、新しい門を共に支えるのだ。
 6月初め、古い水夫と若い水夫達が、新しい海に漕ぎだします。堂々とした船の再生を心を期待と不安で満たしながら、待ちわびています。

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お茶事

15代日記 | 2008年5月10日

 昨日、鹿児島へ帰る機内で台風二号のアナウンスがありました。故郷は台風か…、不思議な感慨がありました。
 ちなみに、飛行機って時速何キロ位で飛んでるんだろうと思い、CAに聞いてみたら(最近、このブログの為に取材までするようになりました(笑))、向かい風で600キロから750キロ。追い風では1000キロを超えるそうです。……早。
 さてさて今日は朝からお茶事です。良いですね。まさに茶道は日本の文化のポータルサイト。行き届いて、美しく、何度招かれても嬉しいものです。お迎えする方は大変ですが…。

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妖怪

15代日記 | 2008年5月10日

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これが『妖怪 土ころび』です。
《出身地》中国地方、中部地方。
《特徴》峠を一人で歩いていると誰かが追い掛けて来る気がする。
走りだすと人より早く転がり降りて、下で待っている。その道を避けて通ると道に迷ってしまう。
《効能》安全に楽しい旅が出来る。 (妖怪ガイドブック)

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挨拶周り終了。

15代日記 | 2008年5月8日

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 人口18万人の米子、取り敢えず、あちこち廻りました。
 初めて伺うお宅、勿論百貨店の担当は既知の間柄とはいえ、スーツ姿のオッサンが三人、四人とやって来るとなると、通常の人はかなりのプレッシャーだろうなぁ…、通行人からは刑事のガサ入れに見えたりしてな…等とアホな事を思いながらも、ふと、それが全て僕に起因している事に気付き、申し訳なく、有り難く思えました。
 そんな中、今日は境港市にも足を延ばしました。そして気が付くと、なんと!あの、伝説の『水木しげるロード』があるではないですか!そうか…境港市だったんだ!
 いつもテレビで見ては、行きたい行きたいと思っておりました。丁度、お昼でしたので、お願いして寄り道。想像していたより、妖怪達が小さかったのが少々残念でしたが、そこは我慢。地図はぶらっと回り、ひょいと立ち寄る事から『ぶらりひょん地図』酒は『子泣き吟醸』と周囲もノリの良さを見せていました。そんな中、我が故郷、鹿児島を代表して『一反木綿』奄美大島からは『ガラッパ』そして私の会いたかった『土ころび』等と会えた事は密やかな達成感がありました。同じ年代の人が一人妖怪スタンプラリーをやってましたが正直羨ましかったです。
 帰りの車中では相変わらず「米子は何故『よねこ』じゃなくて『よなご』ですか?」とか、「鳥取は本当は『取鳥』の方が『とっとり』になりませんか?」等と、美術部としては、どうしようもない事を質問しまくりながら米子を後にしました。

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高梁川が日野川に

15代日記 | 2008年5月7日

米子に着いたら高梁川が日野川に変わってました。あの分水嶺で変わったんですね…。

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