東京、と云えば

15代日記 | 2008年7月24日

 実は『東京』は八年間に及ぶ青春時代を過ごした街である。
 つまり、高校生活三年、大学生活四年、の計八年である。…。
 
 故郷の東市来中学校を卒業し、未だ鹿児島弁しか話せなかった僕が伊集院の駅からB寝台に乗り込んだ。
 二十五時間揺られての初めの上京の車中、隣の子連れのオバサンに寝台の位置を上の段に代わって欲しいと頼まれて、代わってあげたのは良いが、天井の通風口に腹を冷やされ、東京に着いて初めて行ったのが、東京駅のトイレだった…。
 広い東京駅の構内でトイレを捜しながら、ある意味、東京のデカさを泣きそうになりながら知った。
 
 僕の受けた高校は早実だったが、入試面接で「一番近い駅に急行は停まりますか?」と、訳の解らない事を聞かれ、四キロ離れた東市来駅を思い出し「いいえ!」と答えたら、面接の教官に何故か大笑いされた。
 
 その時のムッとする感じ…解るかなぁ…。
 
 その後、合格したので、あのデリカシーの無い教師は、どの教師だったか、その後の為に確認を試みた。
 しかし普段の生活でネクタイ姿のサラリーマンを見たことが無かった僕には、容疑者が多すぎて『ホシ』の特定にはついに至らなかった。
 迷宮入りだ。
  
 東京の生活は、学校に近い新宿区若松町の賄い付き四畳半下宿だった。
 毎日、三杯目にはそっと出した…積もりではあったが、下宿のオバサンはどう思ったか知らない。
 
 日曜の夜は近所のガキを集めて花火をした。
 今頃、あいつら立派になってるかもなぁ…、。
 
 近くの居酒屋の兄さんは「お腹空いたら何時でもおいで!」って言ってくれた。
 事実、僕は毎日行った……。
 風呂屋の番台の若松小町はすましていたが、オバチャンはシャンプーいつも只でくれたし、その風呂屋で知り合った肉屋のカズは、僕が動物性タンパクに飢えているのを知り、親父に頼んで、『すき焼き』をご馳走してくれた。
 親友の奥田の母ちゃんは時々、せがれに弁当二つ持たせて、一つは僕にくれた。
 
 食べ物の話題ばかりだが、人間、人に育てられると言う。
 僕の場合も、見知らぬ、名も無い人達に、腹も心も大きくして貰ったのだ。
 東京の片隅で。

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