備前焼

15代日記 | 2008年7月6日

 備前焼には薩摩焼とは全く異なる魅力がある。
 技術者が長い時間をかけ、作為的に作り込んでいく仕事とは違う。
 無釉の灰白色の土が焼かれると、それだけで様々な表情を見せるのだ。
 窯の炎を映す土の鏡の様だ。
 『サンギリ』『胡麻』『緋だすき』…。
 この炎と土の醸し出す豊かな表情が、同業の我々をも魅了する。
 六古窯の一つであり、その歴史は千年を誇る。

 そう言えば、焼き物の事など何も知らなかった小学生低学年の頃、姉と地元百貨店『山形屋』で備前焼を見た事がある。
 初めて見た時の衝撃は忘れない。
 薄い茶色のボディに鮮やかな緋色の線。
 感激だった。
 炎を閉じ込めた様で、その作品の前から動けなくなった。
 どうやって焼くんだろう? 
 姉に頼んでその秘密を聞いてもらった。
 「ワラを巻いて焼くんだって」姉は僕にそう言った。
 
 当時、お風呂を沸かすのは僕の仕事だった。
 こっそり白薩摩の二級品湯呑を工場から持ち出し、ワラをぐるぐると巻き付け、風呂の焚き口にそっと入れた。
 暫らく見ていたが、ワラはそのまま燃えてしまった。
 何度繰り返しても結果は同じ。姉にも、他に何か言ってなかったか確認したが、無駄だった。
 色が着くどころか、何も変わらない。ワラが燃えるだけだ。
 
 「やっぱり、嘘だったんだ。専門家の大人が子供に本当の事を教えてくれる筈がない。大体、ワラを巻いて色が付くはずが無いよ。」(注:ワラを巻くのは本当である。ただ、生地が生の時に巻かねばならない。)
 そう思うと、騙された淋しさと、薩摩焼の息子のくせに、備前焼に惹かれた事が、あたかも裏切りの様で、その後、僕の秘密になった。
 と同時に、大人だと思っていた四つ上の姉も子供扱いされていたのだ、と思うと、姉が何だか可哀想で、姉にも実験の結果は報せられなかった。
 
 姉はすんなり忘れてしまった様だが、それ以来、備前焼は僕のタブーになったのである。
 本当は大好きなんだろう。

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