茶名披露

15代日記 | 2009年5月11日

 やっと茶名披露の茶会を開いた。
 例の謎の中国人貿易商、沈宗官様の披露だ。
 裏千家淡交会のお年寄り、御重役の方々、約八十名をお招きしての茶会だった。
 この世界、茶名を頂いただけでは十分ではない。
 こうして披露の茶会を開いて初めて認められるのだそうだ。
 謂わば、これは踏まねばならない山だ。

 茶会に備えて、十六世御家元坐忘斎、千宗室様より掛け軸を拝受した。
 その掛け軸には『坐花酔月』の文字。
 「腰を下ろし、花に酔い、月に酔う」の意だ。
 
 最初は僕が焼酎を大好きだから(焼酎も僕を好きらしいが…)、御家元も沈さんなら『酔』だろう…と思われたのかな…?そう一瞬頭をよぎった。
 しかし、床に掛けじっくり眺めていたら、色んな事が浮かんできた。
 
 『花』と一口に言っても、絢爛なものから路傍に咲く名も知らぬ花もある。
 又、晧晧と照らす月もあれば、その姿さえ見せぬ月もある。
 僕という主体と関わり無く繰り返す客体の営み。
 しかし、人は自らに関わりなく在る物、もの言わぬ物に励まされ、救われる事がある。
 そして、彼等が自己の内面においては、我と同じ命ある物であることに気付く。
 
 同時に、月という遥か彼方の、巨大かつ永遠な物と、花という足元の細やかで、はかない命。
 そのコントラストの中に主体の我を置き、包まれる。
 するとやがて、自分すらも自然界の一部になっている事を知る。
 自らも万物の一つに過ぎないことに気付くのだ。
 自己の存在の真理を見いだす事を酔うと言うのだろうか…。
 良い言葉だ。

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