本田君

15代日記 | 2009年2月21日

 日曜日は茶会だった。
 『光風の茶会』である。
 名前の由来は『梅二月 光は風の中に在り』の句から。
 昔は二月第三日曜日、なかなか梅に花が付かずやきもきしたが、最近では暖冬で、逆に花が保たない事の方が心配である。
 この茶会はもう八回目になるが、お客様、スタッフ含めて百五十名程で行われる。
 名残の梅、絵付けやお弁当を楽しんだ。
 
 その夜は二年前の暮れに脳腫瘍で亡くなった本田紘輝君の遺作展の打ち合わせがあった。
 初めて彼の作品を見たのは、彼が八歳か九歳の頃だったと記憶している。
 KBCC(鹿児島情報ビジネス専門学校)主催のマルチアートコンテストで審査員をしての事だった。

 グランプリ受賞者の本田君の代わりにご両親の出席。
 何気なく「風邪でも?それとも怪我?」と尋ねたのが最初だった。
 「実は息子は集中治療室で…」
 
 彼は壮絶な闘病生活の傍ら、画家として多くの足跡を残した。
 その溢れる色彩と画面狭しと飛ぶ龍。
 全ての線と色に意味があり、全て彼の物だった。
 早すぎる死ではあったが、同時によく生きたとも言いたい。
 彼のメッセージは『負けてたまるか』だった。
 小さな身体に宿った悪性の腫瘍と戦ったのは彼の心だった。
 『負けてたまるか』と云う言葉に込められた彼の覚悟と、周りへの気遣いは、彼の精神的成熟を示す。
 僕は動かなくなった彼の黒目を見つめて『紘輝!頑張れ!』と言ったら、彼は黙ってコクリと頷いた。
 今、本田君は空に登ったが、会の後で、ご両親に彼のメッセージを見せてもらった。
 そこには『皿屋のおじちゃんは僕の友達』と書いてあった。
 優しい子だった。

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