仕事納め

15代日記 | 2008年12月28日

114-1
 昨日は一年の仕事納め。
 工場の大掃除しながら、恒例の餅つきだった。
 本当なら二十八日、末広がりで餅をつくのだが、今年は二十八日が日曜日だった。
 残念ながら、息子達はやれ部活だの塾だので留守なのだが、二十七日、仕事納めの日についた。
 水を張った釜に段々に重ねたせいろを乗せ、前夜から水に浸しておいた餅米を入れる。
 薪を燃やし釜からの湯気で蒸していく。
 東京から来られたお客様が『東京では火を炊いただけで消防車が飛んできますよ』と。
 いやな街だ。
 
 さて、やがて蒸し上がった順に、石臼に入れて、杵でつく。
 若い新人に縁起担ぎで、まず蒸し上がった餅米に塩を降り、食べさせる。
 それから、餅をつかせたが、不慣れなために米粒が残ってしまう。
 杵の重みを利用して、素直に振り下ろせば良いのだが、狙いすぎて腰が引けている。
 手混ぜと呼ばれる相方との呼吸も大事だ。
 
 とにかくスピーディーに餅が熱いうちにつき上げねばならない。
 仕方なく、僕が修正に入る。
 
 女達はつき上がった餅を丸くちぎり、手で捏ねて、お飾りの丸餅を大小作っていくのだ。
 三十日に、注連縄と共に家のあちこちにこの餅を飾る。
 その数なんと二十五箇所。
 家の中に神様が九カ所、外の神様が八カ所、それに窯神、等々だ。
 ユズリハとウラジロ、昆布に橙を半紙に添える。
 これは、僕と息子達の仕事だ。
 表座敷には三服の掛け軸。
 一対の鶴の中に寿老人だ。
 おせちも全て手作り。
 元旦の朝、お膳で家族揃って戴く。
 
 こうして、正月の準備が進んでいく。
 
 それにしても、この神様の多さは異常だ。
 全て、その年次も分かり、更にいわれがある。
 あれを頼むのは、あの神様、と役割も決まっている。
 だから、粗末には出来ない。
 
 目に見えない物に手を合わす。
 人知を超えた何かを信じたいのだろうが、その心は良く理解出来る。

 家を継ぐと云うことは、家業を継ぐだけでなく、儀式、祭礼、庭の一本一本の木々に至まで、気持ちを遣うことであり、それらと向き合う事を覚悟する事である。

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