『歴代沈壽官展』東京展、終に終了。

15代日記 | 2011年2月4日

日本橋三越で開催されていた『歴代沈壽官展』が閉場した。
僕は個展開催分、つまり前半の1週間で戻ってきたが、その後も大盛況だったようで、結局、総入場者数は45000人に迫ったとの事。
自分の力とは思わない。

『日曜美術館』、『朝日新聞社』、『三越』等に背中を押して頂いたのだ。
私は舞台の上で踊らせてもらった。

しかし、もう一つの力を忘れてはならない。

倉庫で古い二個のトランクを見つけたのが五年前。

和綴じの虫食いだらけのボロボロの幕末・明治の文書。
あまりの状態に一瞬、燃やしてしまおうと思ったくらいだ。

しかし、思い止まった。

先祖の墓参りもろくにしない僕だが、これらの文書をきちんと整理する事で自分なりの先祖供養にしよう、と考えたからだ。

表具屋さんに頼んで、洗い裏打ちした資料とにらめっこの夜が続く。
それはまさに薩摩焼黄金期を作った偉大な先人達との対話そのものだった。

今にして思うと全てはあの瞬間から始まったように思える。
それ以来、僕は何か見えない存在に此処まで連れてきてもらった気がするからだ。

あれらを洗い、裏打ちして読み返す決心をあの瞬間しなければ、この不思議なエネルギーと出会う事は無かったろう。

文書は実に多くの事を教えてくれる。

『文書の精』という奴が導いてくれる世界は新鮮なオドロキニに満ちている。

逆に今を生きる僕は心の葛藤や試練を後世に伝えるすべを持たない。
書き留める事の大切さをしみじみと識るのだ。

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個展終了。

15代日記 | 2011年1月26日

昨日の午後四時をもって個展は終了した。
懐かしい顔、初めてお会いする顔、多くの方々と触れ合った激動の1週間だった。
新館7階の『歴代沈壽官展』と掛け持ちだった分、かつて無い高ぶりと忙しさの中での毎日だった。

お陰様て無事に終える事が出来、スタッフのサポートに心から感謝している。

それにしても田舎者にとって、10日間近くの百貨店滞在はきつい。
まず、百貨店には窓が無い。
従って外の様子が全く分からないのだ。
常に人工の灯りの下で過ごすわけで、所謂、体内時計が機能しない。
加えて慣れないスーツに革靴履いて、ほとんど立ちっぱなしだ。
知られてはいないが、意外にタフな職場なのだ。

少しづつ、少しづつ披露は溜まっていく。
今、羽田で搭乗を待っている。
早く故郷の山々に会いたい。

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有難いことに

15代日記 | 2011年1月21日

日本橋三越で開催中の『沈壽官歴代展』に沢山のお客様に来ていただいている。
百貨店サイドは1日約1000人程度の来場者を予定していたが、初日から3000人の来場で、連日それが続いている。

有難い事だ。

今回の展示会は410年前に韓国より伝わった陶芸が鹿児島で薩摩焼として成長し、やがて日本の近代化の潮流の中で世界市場へと翼を拡げていった様を解説的に展開している。
薩摩焼の事を知らなかった方も沢山おられる中で、1月16日(日)9時からの『新日曜美術館』が非常に良い呼び水になったと、しみじみ思う。

司会の姜 尚中さんは素晴らしい人だった。
穏やかに相手の話を受けて、相手の言わんとする所を簡潔にギュッと要約してくれる。
だから、次に話を継ぎやすいのだ。

世の中には『要するに!要するに!と言いながら、話を更に複雑にする奴がいる。全く要してない。
かと思うと、日本語を知らない外国人に、大声でゆっくりと日本語を話している奴もいる。
相手は耳が遠い訳ではないのだ。

その点、姜さんはまるで違う。
深く理解しようと、全力で考えてくれる優しさに満ちている。

故にかなりモテるらしい。
成る程、だろうな…と思う。

誰だって、深く理解されたいし、自分が自分を理解る以上に自分を理解ってくれる人がもしいたら、かけがえのない素晴らしい存在だ。

姜さんの人としての魅力はそこにあるんだと思う。

『新日曜美術館』は23日(日曜)夜8時からNHK教育テレビで再放送されます。

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さしむかい

15代日記 | 2011年1月17日

『さしむかい』とは私達、沈壽官窯で製作されている黒ヂョカのセットだ。
黒ヂョカとは正しくは黒茶家と書く。
語源は不明。

薩摩では煮炊きをする陶製の容器を茶家(チョカ)と呼んでいた。
チャカではない。

古くは山で煮炊きをする大型の大山茶家、薬を煎じる薬茶家、焼酎をお燗して飲む焼酎茶家、お茶を沸かして飲む茶茶家等があった。
そして『さしむかい』は焼酎茶家のセット(茶家、炉、ぐい飲み二個、計量カップ・計18900円)である。

これで焼酎を飲むと抜群に旨い。

暖める事で遠赤外線が出て、焼酎の味をまろやかにするのだ。
焼酎愛飲家の方には是非とも奨めたい。
身贔屓の様だが自信があるのは、某蔵本が蔵子三十人に目隠しで利き酒をさせたところ、二十九人が私達の黒茶家を選んでくれたからだ。
可笑しかったのは、そのうち一人が『工場長、これ何処の焼酎ですか?』と真顔で聞いた事だった。

というわけで、今年の元旦の南日本新聞の読者プレゼントにこのセットを二セット出させて頂いた。

すると、なんと千通を越える応募があった。
名前と住所だけのものが多いが、中には切々と欲しい理由が書かれているものがある。
焼酎大好きなおじいちゃんに孫から、父親の還暦の祝いに感謝を込めて娘から、最近、疲れ気味の旦那さんに奥様から、成人した倅と父親が飲むために、亡くなった父親を思い出して……、と様々だが、いずれも情景が目に浮かぶ様で、本当に応募して下さった皆さんに差し上げたいと心から思った位だった。
と同時に、このインターネットの時代にこんなに手書きの葉書を沢山頂き、別の意味でも感動だった。

改めて、ご応募下さった方々に感謝します。

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稲荷神社

15代日記 | 2011年1月6日

町内にある稲荷神社の宮司は大の親友で、新年の初詣は必ず行くことにしている。
今年も家族で詣でた。

神様に手を合わせ、柏手を打つ。熊手を買い込みおみくじを引く。
恒例の流れだ。
五十円のおみくじは付録が付かないが、二百円の方は小さな金色の招き猫やら小判とかが入っている。
みんなで二百円のおみくじを引いた。
長男『おっ!大吉だ!』
私『おっ!俺もだ!やった!』、しばらく読んでたら
長男、『お父さん、見せて』
私『いいよ』
長男『?……』
私『…?』
長男『お父さん、同じだよ』
私『何が?』
長男『俺達のおみくじ。同じだ』
私『…』。

全く同じだった。

喜びが少しだけ消えていった。

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『車起こし』

15代日記 | 2011年1月4日

いよいよ今年も本格的にスタート。さぼってたブログも漸く再開。

昔から我が家では、1月2日は『車起こし』と言ってロクロ(車)を始める事になっている。
窓越しに雪が残る冷たい景色を見ながら、冷たい部屋で冷たい水に手を浸し、冷たい土を触る。
手がかじかんで上手く指が動かない。かといってお湯を使うと後から手がガサガサになりアカ切れになってしまう。
次第に気にならなくなって来るのを待つしかないのだ。

今年は京都で焼き物修行中の長男が帰省、一緒に練習するというので、色々と話ながらの楽しい『車起こし』だった。

去年の四月から始めたばかりだし、要領の極端に悪い奴なので、勿論まだまだなのだが、こればかりは時間が必要。
腐らず、焦らずやり続けて行く事が大切なのだ。そうすれば何とかなるものだ。

回転に幻惑されず、回って帰ってくる土を待ち受けるのだ。

以前、父から言われた。
『回転するロクロの見えない芯を探せ。人生も同じだ。周りに振り回されず、ブレない事だ』

残念ながら私はブレっぱなしの人生だが、 息子と並んで仕事が出来る事はありがたい。
幸福な一時だった。

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謹賀新年

15代日記 | 2011年1月1日
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暮れの30日から降り始めた雪は元旦の今朝、美山の我が家をスッポリと包み込んでくれた。

鹿児島ではめったに見れない、柔らかで艶の無い、まるで歯磨き粉みたいな色の雪の山を見ていたら、一編の詩を思い出した。我が家にある山岡鉄舟の詩だ。
彼は明治維新の時、勝 海舟と西郷隆盛の会談を周旋し、江戸を戦火から救った人物である。

『積雪楼台増壮観 近春鳥雀有和聲』(積雪の楼台 壮観を増し 近春の鳥雀 和声有り)。つまり積雪の中に立つ楼台は普段にも増して壮観である。そして春が近いのを知る小鳥たちの鳴き声はどこか和らぎを感じる、という意味だ。

風情のある、実に清潔て強い詩だ。

山岡鉄舟は当初、箱根に陣取る倒幕軍に単身乗り込み『幕臣、山岡鉄舟罷り通る』と大音声で言いながら、驚く倒幕軍の中を進み、西郷に直に面会したらしい。しかも西郷がつまらぬ男ならば、その場で切り捨てる積もりでいたのだ。西郷の傍らに、あの「人斬り半次郎・桐野利秋」がいても…である。

明治の壮士の気合いと柔らかく優しい雪。 コントラストが美しい。

元旦に感じた事を書いてみた。

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五輪

15代日記 | 2010年2月24日

バンクーバー五輪、メダルは遠い。
それはそれで構わない。

問題は世界ランク十位くらいの日本人選手を『メダルの期待が懸かる日本人選手』と事前紹介するのはチト如何か?と思う。
不謹慎な話だが、有力選手がことごとく食中毒や事故に遭う、といった事態になれば、あながち不可能では無いかもしれない。

実際、蓋を開けて見れば、聞いたことない世界の強豪がうじゃうじゃいて、これが又半端じゃなく強い。
日本のアナウンサーは耳慣れない難しい選手名をスラスラと紹介。(まるで競馬の実況の様に)
絶対、前もって勉強したに違いない。
でも僕たちには決して教えてはくれなかった。
メダルに届かない事を事前に知らせると、国民が関心を失うと思い込んでる様だ。
日本人の意識も、随分見下げられたものだ。
見え見えの判官贔屓も止めて貰いたい。

スポンサーに視聴率を誇れなくなる懸念と思われるが、それにしても相変わらずの了見の狭い自己中目線だ。

戦時下の大本営発表と変わらない。
相手の情報は全く知らせず我が方ばかり。
散々その気にさせといて、結果が出ると最後は『健闘を讃えたいと思います』と収める。

毎度の事ではあるが、今回も又、国民はメディアにしてやられている。

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BLOG再開

15代日記 | 2010年2月7日

久しぶりのBLOGだ。
これくらいサボると鈍って、何をどう書けば良いのか乗りが掴めない。

取り敢えず空でアップだけしておこうかな。

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十分屋

15代日記 | 2009年10月23日

177-1
京都高島屋での個展の挨拶回りで京都に来た。
大体挨拶回りというと一日15〜20件程回る。
玄関先で済ます場合もあれば、お宅に上がる事もある。
中には想像を絶するような素敵なお宅もあり、その材木の選択や部屋の造り、庭の素晴らしさは物を作る側の人間にとって本当に勉強になる。
そんな中、名刺が足りなくなってきた。
どうしよう…と焦ったが、担当の平井部長いわく『先生、十分屋いうのがありまっせ。聞いてみまひょか?』 つまりスピード印刷で名刺を作ってくれるところらしい。
『あ、良いですね。是非、お願いします』というわけで、十分屋に立ち寄った。
僕の理解では、パソコンにプリンターがあり、若いスタッフが元気に対応…と思いきや、出て来たのは一人の爺さん。
『あの、名刺を…』
『はいはい』
『…あの』
『できまっせ』 僕は名刺のサンプルを渡した。 ふと目をやると見たこともない機械。
磨きこんである。
『これ、なんすか?』 『印刷機だす。もう五十年つこてますけど、一遍も故障した事おへんのや』 驚いた。
印字を組んで、この機械で刷るのか…。

気をよくしたのか、爺さんは機械を動かしてくれた。
『ガシャン、ガシッ、』質量感溢れる音、見るものに感動を与える動きだ。
五十年というと、爺さんのキャリアは正にこの機械と共にあった事になる。
機械には『1850〜1960』と創業年が刻んである。

爺さんはこの1960に当時最新鋭のドイツ製印刷機を買い、二条木屋町に印刷所『十分屋』を開いたのだ。

パソコンもプリンターも無い代わりに、在るのは一徹な職人と一台の名機だった。
失われた日本の『ど根性』を京都の町外れに見つけた。
刷り上がった名刺は表裏、実に見事。 紙質も最上級でまるで薄い板の様だ。

ちなみに、値段も超一流で一枚百円!。
あれ程感動したのに、一枚配るたびに『百円』『百円』と心の中でつぶやく己の小ささを恨めしくおもう。

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