『盆』が終わった

15代日記 | 2008年8月16日

 鹿児島の伝統行事の中には様々なものがあるが、とりわけ仮面を用いたものが数多くあり面白い。
 この盆の間も様々なお祭りがあったが、とりわけ凄いのがトカラ列島、悪石島の『ボゼ』だ。
 目も耳も口も巨大。
 何でも見える、何でも聞こえる、何でも喰らう恐怖の『神』だ。
 盆の最終日、全身を草木で包んだ異様な巨体を揺すり、『ボゼ』は墓場から現れ、亜熱帯の森林を抜け、叫びながら人の暮らす里に飛び出してくる。
 子供達はそのザワザワとした姿を見ただけで恐ろしくなり泣き出す。
 僕も少年の頃、『ボゼ』の白黒写真を見ただけで、生涯絶対に南の島には行くまいと誓ったものだ。
 『ボゼ』は手に赤い泥を付けたペニス形の木の棒を持ち、人々を叩いて回る。

 まるで、トカラ列島版『プレデター』だ。
 
 『盆』と云う死者の支配する仏教の世界に対して、神の支配する日常の日々に人々を連れ戻す為に現れ、人々を叩くのだ。
 手にした棒は生産のシンボルである。

 黒潮に洗われる絶海の孤島で、このように仏教と神道が奇妙に共存している。
 まさに『海の民』と『陸の民』との責めぎあいの末の落とし処だろう。
 
 古来、薩摩は海洋民族が支配していた。いわゆる『海幸彦』の国だ。
 これに対して農耕の技術を持った渡来人達が北部九州から下ってくる。『山幸彦』である。
 両者は葛藤の末、結局『山幸彦』が潮の玉を手にして、海陸いずれをも支配下に置き、今の天皇家のルーツを創るのである。
 この様に天孫降臨の日向信仰が日本書紀へと繋がっていく。
 未だに残るこの国の始原的ストーリーを破れた南の国の仮面神達が不気味に語る。
 
 薄っぺらい現代の生活の遥か奥底に、実に不思議な記憶が存在するのだ。
 そして、彼らは今もじっとこちらを見ている。

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